2013/12/20: 奥多摩町鳩ノ巣;木瓜爺撮歩75-07 将門神社 (No.1810)

m75-7-F6616将門神社には横から入ってしまったのですが、ブログではちゃんと鳥居のところから入った形で書いておきましょう。m75-7-F6615 将門神社1

脇に「将門神社」の表札?があり、並んで鳥居が立っています。参道は左の方から山腹を回ってきます。

鳥居の真ん中にちゃんと社殿が見えるとうに作られています。昭和50年の再建ですからこうした設計施工は造作もありません。鳥居の額束には「将門神社」の額がかかっています。鳥居の形は「明神鳥居」。

m75-7-F6610将門神社2

石段を上がって行くと、狛犬が一対、番をしている小広場につきます。御幸姫観音から来ると、この広場あたりに入って来るのです。狛犬は高い位置なので、中空を睨んでいました。昭和型の狛犬です。ごくシンプルな形です。

m75-7-F6608 将門神社3

m75-7-F6607将門神社4

小広場には、再建祈念碑などが建っています。お清めの手洗い場は水道の蛇口のままです。下の石の方は、旧神社からのリユースでしょうか? 設置が不細工。 旧神社の事ですが、そもそもは、900年頃作られた「多名沢神社」という神社だそうで、そこに「将門」が追加されて祀られたようですが、明治になって、廃社され熊野神社の方に合併されてしまったようです。ですから、熊野神社で見た正体不明の末社は「多名沢神社」の名残だったかも知れません。また、昨日書いた「御幸姫塚」の跡は残っているようです。いずれも、耳情報・・インターネット拾い読み情報ですが・・・

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神殿はもう一段上がりますが、そこに文字どおり「毛色の違う狛犬」がおります。

m75-7-F6604 将門神社6m75-7-F6605 将門神社5

「阿」「吽」もない形ですが、あげている足は変えてあります。どちらかというと「唐獅子」なのかな?

m75-7-F6587 将門神社7

社殿に進み、礼拝。

将門神社に関しては、神社系列などはないようです。というのは、将門は朝敵であったことから、江戸期以前は全く祀ることが出来ず、江戸時代に一応名誉回復して、神田明神などに祀られるのですが、維新後の明治政府は再び朝敵将門は祀るな!と、神田明神からも追い出します。昭和の後期になって、やっと「将門神社」が認められるようになってきたのです。現在、将門を祀った神社としては、将門終焉の地といわれる茨城縣坂東市岩井にある「国王神社」、天禄3(972)年創建、が最古社か? もう一つ、柏市岩井に「岩井山龍光寺」という将門の三女「如蔵尼」が作ったお寺から分離したと思われる「将門神社」があります。この2社がいわば「本家筋」となっています。

この棚沢の「将門神社」が言い伝えどおり、将門の子「良門」の草創であれば、最古参になるのかも知れませんね。

m75-7-F6594 将門神社8

馬の額がありますが、向かって左は「繋馬」ですが、右は「放れ駒」ですねえ? 意味が分かっていない?

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この社殿、後部に旧神殿をもつ方式のようです。早速覗きに行きます。

m75-7-F6597 将門神社8

後ろの神殿です。きちんと作られたものですが、そう古いものではないようです。これも、昭和の制作でしょうか?

お詣りを済ませて、下山します。

石段を下ります。手すりはありませんが、そう急な石段ではないので、落ち着いて歩けば大丈夫。下り終わったら、右に進みます。やがて、巻道・・つまり、不動尊に行くとき、将門神社という標識を見て、これは違うと引き返した参道です・・に合流することになります。

地図で見ると、そこから下ると「豊玉堂」というお堂があるのですが、はたして何が祀られているのか? 明日のブログに・・・

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