2014/01/31: 爺的吉祥寺散歩;木瓜爺撮歩78-05 岸光山吉祥院安養寺 (No.1853)

(タイトル変更次第:当初、岸養山吉祥院安養寺と記載していたのは「猫のあしあと」というデーターベース(?)に基づいたものでしたが、武蔵野市の観光機構のデーターでは「岸光山安養寺」となっています。真言宗寺院のリストでも「岸光山」となっていますので、修正しました。)

実際は、八幡神社に先に寄ってトイレを借りたのですが、ブログとしては安養寺を先に書きます。とにかく、「四軒寺」確認が先ですから。

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「安養寺」の石門を確認し、路地のような参道を入って行きます。

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右の方に「鐘楼」があります。吉祥寺では唯一の鐘楼かも知れません。境内の大きな「月窓寺」でさえ、鐘楼はありませんでした。元々なかったとは思えませんが、戦争で供出したままなのでしょうか? そう言えば、「月窓寺」には、道路建設のために、境内を削って「布施」したと書かれていましたっけ。「布施の壇度なり」という経文「修證義」に出てくる言葉が使われていました。

山門の手前に何か並んでいます。

m78-05 F8424安養寺

向かって右は、六地蔵様です。一番奥だけ青いシャッポ。仲間はずれにされなきゃ良いけど・・・m78-05 F8435

m78-05 F8426左側、先頭にあったのは、摩尼車です。最初の梵字は「大日如来」のようですね。車の部分も梵字が刻まれていましたが、木瓜爺には意味不明。真言が彫ってあるのかなあ? 何だかわからないけど、一回回しておこう・・

この脇に、庚申塔などがあるのですが・・・m78-05 F8428

この庚申塔が、古いもののようです。説明板を写しておきます。「吉祥寺村」が検地を受けた翌年、寛文5(1665)年の建立で、北多摩最古のものだそうです。新田開発記念事業なのですね。女性の名前が10人みられるとあります。月窓寺にあった「天曉院殿月窓妙清大姉」の俗名などもあるのかなあ? でも、こちらは南無阿弥陀仏だから宗旨ちがうな・・・m78-05 F8427

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これは、青面金剛の庚申塔ですね。下に三猿がいます。お地蔵様も並んで居られました。ははあ、青い帽子は、対を表しているらしい。丁度真向かいが先ほどの青い帽子のお地蔵様です。門前でぐずぐずしていて、葬儀の準備を妨げては申し訳ない。早くお詣りしてしまいましょう。m78-05 F8433

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あれれ? 本堂はコンクリートです。なんだ、近代化してしまっている。有り難みは少ないのですが、まずは本堂にお詣りしました。

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ご本尊は「不動明王」だそうです。「真言宗 豊山派」のお寺です。新編武蔵風土記稿には、境内に「閻魔堂」や「弁天稲荷」などがあったと記されていたとのことです。現在は、さっぱりしていますが・・

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これはちょっと変わった組み合わせです。弘法大師が、鬼をお供に連れているのかなあ? 「南無返上金剛」へんな変換するなよ、それじゃクレーマーみたいだ! 「南無遍照金剛」だろ? これは「弘法大師をあがめます」の時です。

鐘楼の方に戻ります。m78-05 F8437

やはり、市内現存唯一の江戸時代の鐘だそうです。新しいのはあるのですね。

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さて、このお寺はどこから来たのだ?

開山は「賢乗」という方で寛文8(1668)年の寂。豊島郡谷原村長命寺の末寺。谷原村ってどこだろう? 調べて見ると「石神井」の方です。やはり、江戸中心からの疎開ではありませんね。これで、「四軒寺」は疎開組ではなくて、江戸とその周辺のお寺の末寺建設だったことがはっきりしました。「新田開発」という事業に、利権を求めて、各宗派が群がったのかなあ? 幕府から補助金が出たかな??

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