2014/02/20: 羽村漫歩;木瓜爺撮歩73-04 龍珠山一峰院 (No.1873)

今冬は、東京でも3回の積雪がありました。今日も降りそうなことを言っていたのですが、どうなりますか?

この木瓜爺ブログは、「検索」から入ってくださる方のほうが多いので、ホットな話題を書いても間に合いません。「検索エンジン」は1週間以上前のことを探しているようで、書いた時期と見て頂く時期の間に、タイムラグがかなりあります。で、いつでも良い話題にしておこうと考えるのですが、歩くときは、綺麗な時に行こう・・と、考えてしまうので、矛盾を生じています。言い訳が長くなりました。今日の写真は、2014/2/4 雪が降った日です。このあと、2/8、2/14に大雪が降ったのですが、そのときはもう出かけるどころではなくて、家で、ガレージなどが積雪重量に耐えられるかどうか心配していました。結局、2/15 雪が止んでから、屋根が壊れてしまいましたが・・多分自然積雪+家の屋根からの落雪衝撃でダウンしたのでしょう。

本題に入ります。羽村市にある4つのお寺の内、今日の「龍珠山 一峰院」は、春にはチューリップ畑が造られる「根がらみ新田」の一角に建っています。松など緑の濃いお寺で、梅や桜といった時期には、ひっそりしている感じ、つまり目立たないのです。とこるが、白い雪が舞う時には、その存在感が浮き出してくる不思議なお寺です。Choi-Boke爺ちゃんのブログでは、2010/11/28「羽村の秋(3)」、2012/3/3「雪撮歩」などに登場していました。雪が降ると、木瓜爺の足はここに向かうのです。

m73-04 F9012 宮ノ下運動場

2/4 朝から降っていた雪が、大きな牡丹雪に変わりました。地面が白くなり始めたので、そろそろ出かけるか! 雪が舞っているとレンズに付きます。2012年の写真はレンズに水滴が付いたまま写して失敗しています。それで、フードとプロテクト・フィルターをつけたフジのHS30を、デジ一眼用のLAMDAの胸ケースに入れて首に掛けました。ケースそのものは胸のところにベルトで縛っています。ポケットには、吸水性の良い柔らかなタオルのハンケチ。フイルターを拭くためです。

宮ノ下の運動公園までは、堤防の上を歩いています。杭が立てられているところは、絶滅寸前のカワラノギクを保護育成中の場所。真ん中の三角屋根は、羽村市歴史博物館。

m73-04 F9014 大正土手

一峰院に行く前に、羽村では数少ない「野の仏」に逢って行きましょう。この堤防を進むと、阿蘇神社の鳥居がありますが、その鳥居の脇にあります。なお、堤防下に見えるバックネット、少年用の野球場ですが、「宮ノ下」という名前は「阿蘇神社の下」という意味でしょう。

「野の仏」で思い出すのは、「若杉慧」さんの写真随筆。これを見た「ヘルマンヘッセ」が感動して、詩を書いています。・・・どこかに翻訳したのがあった筈・・・ちょっと待ってください・・・「芳賀壇」という方の翻訳を書き写してあったはず・・・

石仏002

「日本の野のはずれに朽ちてゆく み仏たちに」 手書きなので、読みにくいですね。そのうち、ワープロ入力しますが、とりあえずこれで・・・

m73-04 F9018

向かって右側は「馬頭観音」。左側は合掌形の「地蔵」のようです。この「合掌型」の場合、お地蔵様ではなくて、僧侶若しくは供養される人を表していることもあります。拝む者が悩まされる形です。・・この前は、水滴でボケてしまってゴメンナサイ・・今日はちゃんと写りましたから・・と、ご挨拶して、一峰院に向かいます。ここからは右方に一直線です。

m73-04 F9022 根がらみの畑

大根畑でしょうか? 収穫間近だと思いますが、雪を被ると、スが入ってしまうのかなあ? 一峰院の前に、下校途中の子供達発見。 あれれ? 男の子の傘がオチョコになってしまった。風にあおられたのかな?

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うーん、うまいこと考えたなあ・・・おチョコをさして、雪をお土産に持ってかえろうという事らしい。 「雪のお土産かい?」声を掛けると、ニコニコしていました。

m73-04 F9028

山門に行く前に、道の左側に建っている観音様のご挨拶だなあ・・・

m73-04 F9031

この観音様は、「中国韓国仏教蹟踏査記念」ということで建てられたもので、「日清・日露・シナ事変・第一次・第二次世界大戦」など、明治以降の戦役で亡くなられた「檀徒」の名前が刻まれているようです。つまり、一峰院の檀家の方々の中で、戦争で亡くなられた人々の供養と世界平和を祈願した観音様です。檀家の方々以外は、敷地に入れないようになっています。

m73-04 F9037

「一峰院」の山門は、宗禅寺と同じように「鐘楼門」。二階に鐘があります。しかし、このように、前に松が頑張っているので、宗禅寺山門のように見ることが出来ません。

img_0234-.jpg

江戸末期に造られたもので、小林勝馬という宮大工の手によるものと書かれています。

m73-04 F9042

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松葉に雪がついて、綺麗です。頭をぶつけないように、そっとくぐって、鐘楼を見上げました。ちょっとスローなシャッターを切ったので、雪が雨のように写っています。

m73-04 F9045

正面に本堂。「龍珠山」の額がかかっています。

img_0235 一峰院

m-772-このお寺は、「臨済宗 建長寺派」に属します。以前のブログで曹洞宗と誤記したことがあったようですが、宗禅寺と同じ臨済宗・・羽村市のお寺は全部「臨済宗建長寺派」のようです。雪のない画像は・・・以前のブログから、転用。

このお寺は、応永31(1424)年、三田雅楽之助平将定の開基。青梅の勝沼城にいた三田一族の一人で、阿蘇神社の境内にお墓があります。開山は、三田氏とどういう関係か分からないのですが、周防国の高山寺 玉英賢韜 という僧とのことです。

本尊に何を置かれているのか、未確認なのですが、寺宝として、十一面観世音、不動明王などがあり、ほかに、文化財として「一峰院亀鑑(住職の就業規則?)」や「大般若経600巻」が保存されているとか、よく分かりませんが、凄いことらしい。

m73-04 F9052

もう一つ、珍しいのが、この「半僧坊」です。鎌倉 建長寺の一番奥に「半僧坊本殿」というのがありますね。そこの説明には、こう書かれています。

《明治中期の建長寺住職 おおぞら霄 かん貫どう道和尚は、ある夜お坊さんのような、また俗人とも見える白髪の老人と山中で出会い、その翁が「私を関東のいずれか清浄な処に招いてくださるなら、その処いよいよ栄え、ありがたいことが絶える事がない。」と告げ、フッと姿を消してしまった霊夢を見られました。このお姿こそ半僧坊の眞姿で、建長寺の鎮守に相応しいと、自ら奥山の方廣寺(静岡県浜松市引佐町奥山 臨済宗方廣寺派大本山)にお出向きになりご分身を願われ、明治二十三年五月、建長寺の内で最も景色の勝れた勝上?に安置され、直ちに堂宇を創建して現在の鎌倉半僧坊本殿の礎を築きました。》

臨済宗の守り神のような位置付けになっているようです。

雪もだいぶひどくなってきたようなので、帰途につきますが、「妙徳山善福寺」門前を通って、お地蔵様方のご機嫌をうかがって行きましょうか。

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