2014/03/27: 八王子散歩;木瓜爺撮歩81-01;釋尊山浄泉寺 (No.1908)

昨年の3/27 Choi-Boke爺ちゃんのブログ では、「浄泉寺しだれ桜」を書いています。 浄泉寺の公園墓地に墓があり、月に二回ほど掃除に行きますから、ブログに名前が出てくることも多いのです。2011/3/4 には、「御霊山浄泉寺」というタイトルで、基本的な紹介をしています。山名が古いものだったようで、現在は「釋尊山」の額がかかっていますので、今回は、それに従いました。2011/8/2には、「浄泉寺の石仏」といブログを書いています。あらかた書いてしまったので、こちらのbokejiiブログには登場していません。今回は、彼岸にお詣りしたあと、付近を散歩しましたので、それを穴埋め記事に仕立てる次第。詳しいことは、前述のChoi-Boke爺ちゃんのブログをご覧ください。なお、Choi-Boke爺ちゃんのブログへの入口を、ホームの中に作って置きましたのでご利用ください。

さて、お彼岸の中日です。この墓地は、区画ごとに駐車場が作って有るのですが、この日は満車状態です。はみ出した車が指定場所以外にも止まっています。

F1216 浄泉寺1

F1219 浄泉寺2

墓参りを済ませ、空を見上げると、ご覧のように怪しい雲行きです。これは要注意だなあ・・・三鷹の方に行く予定を取りやめて、高尾駅まで歩くことで運動にするか・・

ここは、八王子市館町です。高尾駅までは、徒歩40分位でしょうか? バス停の数で5駅くらいです。全部歩かなくてもいいや、二駅くらいは進められるだろう。

F1220 浄泉寺3

浄泉寺の本堂です。左にちょっと見えているのが、枝垂れ桜。今年はまだ冬芽のままでした。

F1229-6

このお寺の場所は、昔の「城跡」と言われています。城といっても、土豪の舘でしょう。その初代らしいのが、鎌倉権五郎景政、平安末期、桓武平家の一族です。源義家に従って、後三年の役に出陣しています。その後の話は明日に・・・

浄泉寺城跡は、景政のあと北条氏照の家臣、近藤出羽守助実が住んだことから、「近藤砦」と呼ばれることもあるようです。

F1228- 5

これが、「釋尊山」の額。この寺の北側に「御霊神社」があり、昔はこの寺が別当だったことから、「御霊山」と名乗った時期があるのでしょうか? 八王子市仏教教会のページでは、開基が「近藤出羽守助実」(1591年没)で、開山は「獄應儀堅禅師」(1588年没)。当初は「御霊山浄泉寺」であったが、明治の神仏分離の際に「釈尊山」に変更したと書かれています。開山、開基が、この顔ぶれだとすれば、開山年は不明ですが、天正年間(1573-1592)でしょう。ところが、この資料では1086年頃の創建と書かれています。つまり、鎌倉権五郎が館町にやってきた年です。

F1222 浄泉寺4本堂の前に面白い石像があります。「南無釈迦牟尼仏」だったか、「南無釈迦如来」だったか、書かれているのですが、前でおおきな面積を占めているのは、琵琶を抱えた弁天様らしい。釈迦如来らしいのは、上の方の空中におられる仏様です。

本堂の横には観音堂があり、霊園を使っている者の法事などに利用出来るようになっています、

お地蔵様は2ヶ所に居られますが、次のは山門近くの地蔵です。後ろは浄泉寺の駐車場ですが、この日はクローズされていました。お葬式がある日に開くのでしょうか?

F1230-7

F1231-8

振り返った寺の入口です。 明日は「御霊神社」です。

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