2014/05/29: 福生徘徊;木瓜爺撮歩83-06 長徳寺地蔵堂 (No.1970)

長沢薬師堂の横は、墓地の入口になっていますが、そこに六地蔵と地蔵堂があります。

m83-06-01 F4689 六地蔵

これは、六地蔵のある入口左側なのですが、一番左がちょっと切れました。まずそこから・・・

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これは、水神様の碑。梵字の部分が、金剛界大日如来を表す種子「バン」に見えるのですが?

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読めない文字碑をはさんで、これは多分お地蔵様。冬着のままでうだって居られます。右端は青面金剛の庚申塔ですね。

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m83-06-04 F4688そして、六地蔵冬姿。よほど寒がりの信者がおられるのでしょうねえ・・一番端は「三界萬霊供養塔」。墓地の入口をはさんで、地蔵堂に移ります。

地蔵菩薩2体と、車地蔵つまり「地蔵塔」が納められているようです。

 

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左側の子安地蔵様は後ろの卒塔婆に「南無水子地蔵」と書かれています。

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この写真が中央の地蔵。「延命地蔵」ですが、合掌型になっています。

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m83-06-13 F4698はて、面妖な? 「南無六面車地蔵」と書かれていますね。でも、これ4面に見えるのですが? よく見える位置から写しなおします。 ははあ、傘が4角で柱の部分が6角なのですね。どうもそういうことらしいです。地蔵堂のお詣りを済ませて、薬師堂の前を通り、「神明公園」という小公園に寄ります。神社からの石段の途中に入口がありました。m83-06-10 F4711

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この公園は、堂川湧水の再現として作られたものなのです。

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井戸を掘って、ポンプアップした水は、こういう具合に出ていました。

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この立て札に、重要なことが書かれているのですね。川の畔に「念仏堂」があったというくだりです。堂坂の方は、羽村ですからよく分かっています。堂坂は「薬師堂」のあった坂でした。こちらは、多分「念仏堂」が正しいでしょう。

この地蔵堂、薬師堂、神明神社鳥居、神明公園を通る道の名前を書いていませんでした。これは「神明通り」だそうです。新奥多摩街道が出来るまでは、神明神社もこちらが正門だったと言うことでしょう。それと、新奥多摩街道の消防署があったあたり、新奥多摩街道建設工事のさい、4000年前といわれる縄文中期の遺跡が見つかりました。これを「長沢遺跡」と呼んでいるようです。

さて、これから、長徳寺手前の宮本橋に行きます。あの観音堂の謎解きです。その前に、江戸末期の福生・羽村の領主がどうなっていたかを説明しておきます。この辺りは、幕府の直轄領と旗本の領地がまじって存在していました。まあ、これは、土地そのものを所有すると言うことではなくて、年貢を納めさせる権利をもつという意味なのでしょうけれど。

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