2014/06/10: 青梅再訪;木瓜爺撮歩79-22 梅華林・高峯山 天寧寺 (No. 1982)

1300日連続ブログ投稿達成! 欲が出て来て1500目指そう! その前に2000回達成があるな・・・

吹上から天寧寺のある根ヶ布までは、一山越えるだけなのですが、生憎それがゴルフ場になっているために、かなり迂回しなければなりません。今回は、途中を省略します。天寧寺はChoi-Boke爺ちゃんのブログの「青梅フォトウォーク第1回-1から-3」に登場しています。つまり、木瓜爺のフォトウォークの原点になったような場所なのです。3回にわたって記述しただけのことがある、素晴らしいお寺でした。ご覧頂くには、次行のリンクをクリックしてください。

12月16日:青梅フォトウォーク第1回-1(天寧寺へ)

今回は再訪版ということで、前ブログで書けなかったことを重点に書いておきます。なお、天寧寺のホームページから、何点か写真を引用させて頂いた部分もございます。参考にしたホームページは、次行。

http://www.t-net.ne.jp/~tenneiji/01.htm

さて、てくてく歩いて来ました「天寧寺」。ここは、霞川の水源と言われる「霞池」があるのですが、「法堂の背後」ということで、入り方が分かりませんでした。前述のHPの霞池ホームページには、こんな写真が出ています。この池につづいて、境内に池が作られいます。ここは撮せました。m79-22-01 F6004 霞川源流

奥の池とつながっているのではないかと思われた水路などは、後ほど。m79-22-02 F5540 霞川源流

 

 

 

左の水路は、総門の横に出て来た水路です。本題に戻って、総門前の情景からはじめましょう。

m79-22-03 F5541 天寧寺

門前に六地蔵堂があります。中央は延命地蔵のようです。

m79-22-04 F5542

浄土宗系ですと、阿弥陀如来が中央に居られることもあるのですが、こちらは現在、曹洞宗です。この「天寧寺」がある場所には、ずっと以前に、平の将門が開創といわれた真言宗の「高峯寺」という寺があったようですが、戦火に焼けて廃寺となり、文亀年間(1501~1514)頃に、杣保三田谷の領主つまり「勝沼城主」であった三田氏によって作り直されたようです。そのときの開山は甲州国中山広厳院に因ったようです。ホームページに詳しい説明があります。門前にあった説明板。

m79-22-06 F5996

全体像についても、ホームページに写真がありましたので、転載させて頂きました。

天寧寺HPの全景写真

総門はこの写真に左外になります。

m79-22-05 F5545

もう一度、総門前に。左に立っている「庚申塔」「墖」の字が知らない字でした。この総門(ホームページでは「惣門」という文字になっています)、このお寺の役割を示す額がかかっています。

m79-22-06 F5546

駒込の吉祥寺では、「栴檀林」という額でしたね。あちらは、曹洞宗の学校を意味していたのですが、こちらの「梅華林」も似た意味があります。修業中の遊行僧というか、「旅をしながら修業する僧を受け入れますので、ここで勉強してください」という意味があるのです。

曹洞宗の勉強のことにちょっと触れますと、現在は仏教の専門学校や大学で学んだあと、永平寺に留学(?)して、曹洞宗の神髄を学ぶステップがあるようです。つまり、現代でも「吉祥山永平寺」は、曹洞宗の大学院にようなものなのですね。実際に永平寺で学ばれた僧にうかがいましたが、とにかく「身も心も洗われるような特別な場」だそうです。曹洞宗の大本山は「総持寺」「永平寺」の二つですが、他宗の複数本山とは様子が違って、「普及」と「修業」というような役割分担をしているようです。他宗のように「**派」という言葉を聞かないのは、この教育システムの一本化の効果なのでしょう。「天寧寺」が現在「永平寺末」としているのも、教育担当の方が主だったということでしょう。「梅華林」の額は、そういう歴史を物語っているようです。

m79-22-07 F5555

長い参道をたどって行くと、山門の前に出ます。この日は、法事があったようでした。ここで、霞池の方に行く道がないかとうろついたのですが・・・

m79-22-08 F5556源流

水路が見えました。あれをさかのぼれないのかなあ?

m79-22-09 F5557

入って行ったのですが、「これより先、進入禁止」でした。多分これを入って行くと、冒頭の写真のような景色の所にでるのでしょう。あきらめて、山門前に戻りました。よくよく調べましたら、青梅教育委員会の資料に「お寺の方に断って、裏に回らないと見られません」と書かれていました。そう言うことを書かれたブログにぶつかっていないということは、「見てきたような・・」が多いのでしょうかねえ?

m79-22-10 F5560

m79-22-11 F5568

この山門は「二天門」です。仁王様ではなく、四天王の内の二天が守って居られます。ここの場合はちょっと変則的だなと思ったのは、南担当の「増長天」と北担当の「多門天」だったことです。一般的には、例えば「南の増長天」と「西の広目天」とか、「西の広目天」と「北の多門天」とかいう「並んだ方角」の組み合わせが使われるようですから。

m79-22-12 F5999m79-22-14 F5998

 

 

 

 

 

 

 

 

金網で、うまく撮せないのですが、足元の虎のようなもの(邪鬼なのでしょう)は撮せました。これが意外に可愛い顔しているのです。なお、ホームページには、金網のない写真があります。左の顔黒が「増長天」右の顔白が「多門天」だそうです。

05-3 多門天

05-2 増長天 山門はあちこち撮したくなる部品が付いていましたが、ここでは割愛。

山門を入ると鐘楼があります。

m79-22-15 F5580

この鐘楼の「鐘」は三田弾正忠政定の寄進で、国の重要美術品なのだそうです。つづいて、「中雀門」。

m79-22-16 F5592 中雀門

これをくぐると、やっと「法堂」・・本堂をこう呼んでいます。・・

m79-22-17 F5593

左には「僧堂」右には「庫裡」があります。いずれも禅寺らしくすっきり美しい建物です。今回はあえて省略。なお、僧堂には、34世の和尚さんをモデルにしたという「僧形文殊菩薩」という珍しい像があるそうです。法堂に入らせて頂いて、拝みます。本尊は金色のお釈迦様でした。遠くから、合掌。 昼飯に使いすぎたか(?)懐が空っぽに近くて、今回は入手出来なかったのですが、天寧寺の写真が入ったガイドブックが500円。法堂に置かれていました。この次は、ちゃんと頂いてこよう・・・

天寧寺は、周囲を墓地が取り巻いています。供養仏も一杯ありますが、みな現役(?)のようで、墓地を歩き回って写すのは止めました。とにかく、何度行っても、心がすっきりする雰囲気をもったお寺です。写材的には、建物と「たたずまい」が重点になります。

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