2014/08/15: 日野散歩;木瓜爺撮歩63-23 宗印寺/日奉地蔵・布袋堂、 薬師堂はどこに有る?  (No.2048)

今年も、敗戦の日がやってきました。昼、詔勅を聞いたとき、もう防空壕には入らなくて良くなるのだ・・と、嬉しかったけれど、どういう生活に変わるのかは見当が付きませんでした。奴隷にされてしまうのかなあ? なんて考えたこともありました。なんせ相手は「鬼畜米英」でしたからねえ・・いろいろな思いが頭を横切ります。

さて、宗印寺です。ざっとおさらいします。まずは、新編武蔵風土記稿にはどう書かれていたか・・「猫のあしあと」から転写させて頂きました。

(平山村)宗印寺
除地、五畝、禅宗曹洞派、由木村永林寺の末、大澤山と號す、開基は中山助六郎照守、寛永十年正月廿二日卒、無相院可山宗印と法諡す、開山は一東天樹と云、寛永十二年正月廿六日寂す、されど起立以来わづかの庵にして、未だ寺號も唱へざりしを、第三世大本恵立の時に至りて、始て寺山號をみゆるしありしと云、本尊正観音長三尺ばかり、客殿五間に七間なり(新編武蔵風土記稿より)

江戸時代、寛永の頃に造られた寺で、創建時は「庵」という規模だったようです。暫くして「寺号」が許されたと書かれています。そして、寺伝的には、「宗印寺は、中山助六郎照守(寛永10年1633年卒、法名無相院可山宗印)が開基、一東天樹(寛永12年1635年寂)が開山となり創建、第三世大本恵立の代に大澤山宗印寺と号したといいます。明治6年平山の大平山大福寺を合寺しています。」という歴史をたどったようです。

この合寺された「大福寺」からやって来た物が多いのです。

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この説明板の「平山季重坐像」と「日奉地蔵」は、地蔵堂の建物に入っています。ところが、「木造薬師如来」が見付けられません。日野観光協会の頁には、「薬師堂」があるように書かれているのですが、薬師堂の写真がありません。どこにあるのか、全く分からないのです。今日一日では見つからないでしょう。昨日と同じ写真ですが、左側に見える建物が「地蔵堂」です。

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地蔵堂の中を覗きました。宝庫です。

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後列から説明します。真ん中の小さな厨子が、「本尊地蔵菩薩」の厨子で、その両側にずらりと千体地蔵が並んでいます。これが、「日奉(ひまつり)地蔵」です。

真ん中の木像、これが「平山季重像」です。僧形になっています。晩年、寺を立て始めていますが、自分自身も仏教に帰依していたのでしょう。昨日仮説を書いた様に、上司だった源義経を殺さねばならなかった自分の業に、仏の導きを欲し、供養に努めたのかも知れません。

前列は先ほどの説明板には無いものですが、いりいろ有りますね。薬師如来像観音様が3体でしょうか、小さなお釈迦様も居られるようです。この中に「薬師如来」も居られるのかと探したのですが、該当仏はなしです。観光協会の写真をちょっと拝借します。こんな三尊仏だそうです。このお堂には無いようです。

地蔵堂の前を離れて、次は「日野七福神」を拝見。ここm63-23-09 F6824は「布袋様」だそうです。意外に暗くて写しにくかったです。

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「布袋堂」ですね。ストロボのお世話になってもこんな具合。上半分だけだともう少し綺麗に写ります。

m63-23-11  F8769

この横に、昨日紹介した「季重の墓」があるのですが、それに並んでいろいろ・・まず、六地蔵さんだ・・・

m63-23-07 F8775 六地蔵

中央に六地蔵塔があって、左右に六地蔵が並んでいます。これなどはまさに「合寺」でできあがったような気がしますね。m63-23-04 F8773

これは、「愛染明王」ですね。線彫りの石仏です。「陸稲(おかぼ)」の新種発見者のお墓もありました。

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 地蔵堂の左側にも、お地蔵様が沢山居られました。

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右橋は「水子供養の地蔵尊」ですから、この一角がそいう意味合いのお地蔵様でしょう。千体地蔵までは行っていませんが、300体くらいは並んでいますね。

このコーナーはお終いにして、鳥居のあったところに行ってみます。もしかすると、山の上に薬師堂があるかも知れない・・・でも、普通は、病気の人がお詣りするので、薬師堂は山門に近い場所に造られていることが多いように思いますが・・・

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 鳥居の額を確認します。「善」ではないですね。「萬福閣」のようです。はて、何を意味するのか・・

鳥居の脇に牛がいました。あれれ? 天神様だよ? と、驚いたのが、「平山天神」です。面白いですね。天神様も座って居られました。これは、鳥居とは関係なさそうです。天神様の横にもう一つ石碑が立っていました。これが、この鳥居の神社の説明でした。

m63-23-13 F8796 平山天神

読みにくいかも知れませんが・・・「平山萬福皇大神」縁起となっています。

m63-23-14 F8799 萬福神社

平山萬福皇太神縁起
平山万福皇大神は、伊勢天照皇大神の夫神に当たる大神なり。太古は婦係制のためその夫は陰の存在にして為に、伊勢の清地にその婦神を天照皇大神として祭祀し、夫神は格下げされて山城の国伏見に正一位稲荷大明神として祭祀せしものなり。其の後伏見は稲荷信仰として栄たるも鳥居や社殿を朱で塗り、更に狐を配して品格を下落する等の事ありて、ついに寛政十一年(西紀一七九九)二月吉辰山城国紀伊郡稲荷本宮生官神主正四位下下総守泰親業に、その本体を武蔵国平山の清地に勧遷すべしとのご神示ありて此処にそのご尊体を遷し奉りしが平山万福皇大神の縁起由来なり・・・ということのようです。つまり、天照大神の旦那さんというわけですね。ここに書かれている神主さんのお墓は明日登場させます。m63-23-16 F8802 左源堂

鳥居をくぐりかけた時、左側になにかある・・・「左源堂」という額がかかっています。ひょっとして薬師様?

m63-23-17 F8804 左源堂

m63-23-18 F6825  

覗いて見ましたが肉眼ではよく分からないので、カメラに覗かせます、ガラスの反射を抑えると中が見えました。

 驚きました。五重塔のミニアチュアなのです。ただし、神鏡付きです。何か凄い世界に舞い込んでしまったようです。

 鳥居の下に戻り、改めて階段を上ります。

 いささか書きくたびれましたので、続きは明日にします。

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2014/08/15: 日野散歩;木瓜爺撮歩63-23 宗印寺/日奉地蔵・布袋堂、 薬師堂はどこに有る?  (No.2048) への2件のフィードバック

  1. tkutsu より:

    「鬼畜米英」 「竹やり持て」 「欲しがりません勝つまでは」 当時 尋常小学校4年生でした私が叫んでいました。

    • bokejii より:

      東京の郊外(国分寺)に住んでいた私には、「勝つ」という幻想はもう有りませんでした。「日本という国は滅びる、日本人はどこで玉砕するのだろうか?」だったような気がします。もっとも、心のどこかで「神風吹かないかな」は残っていましたね。

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