2014/09/25: 滝山城址;木瓜爺撮歩85-31 金毘羅神社 (No.2088)

一昨日書きましたように、結果的には「滝山城は、武田信玄の猛攻に耐えた名城」であるということになったのですが、氏照がそこを捨てて、なぜ八王子城を作ったのかという理由は、諸説紛々です。もっとも簡単な俗説は「瀧は落ちる、から止めよう」。

一般的には、「武田勢の小仏越え」などの侵略に対して近い場所で迎え撃つ為、という事になっていますが、それ程単純ではないと思います。滝山城は山上に平地が沢山ありましたから、2000、3000の城兵が立てこもることも出来なくはありません。しかし、八王子城山には平地は極めて少ないのです。山の上は、おそらく数百人、多くても1000人で一杯です。八王子城址をご存じの方には、無駄なおしゃべりになりますが、あの城は、治世のための機構を山麓に用意し、山の上は戦の時逃げ込む(?)場所として作られたことは明らかです。「少数の人数で守れるようにした城」という学説もあるようで、木瓜爺はこれに賛成です。つまり、甲州勢の侵略に備えながら、八王子付近の経済的発展を意図した城を造ろうとしていた・・・と、考えたいのです。ただ、その考えを実現出来るほど、世の中が平穏ではなかったので、中途半端な事になってしまったのでしょう。八王子城の入口に近い位置で、今も地名に残る「鍛治町」のような職業別住み分けは、平城作りの感覚でしょう? 単なる偶然かなあ?m85-31-07 CF9778 金比羅神社

さて、本丸の続きです。滝村住民持の「金比羅神社」です。霞神社裏から眺めた所でm85-31-08 F9817 金比羅神社す。

滝村の方からの参道をご覧に入れましょう。優に100段ありますね。手すりもないし・・木瓜爺むきとは云えません。

こちらは、滝山城としては、搦め手に当たるそうですが、この急峻な坂を攻め上るのはしんどいです。信玄が拝島側から見ると、この崖が見えるわけですから(この階段は見えません)、攻めにくい城に見えるでしょう。勝頼軍もこちらには回らず、裏側である大手門側から攻め入ったわけです。

階段を上がり終えたところに建つ鳥居、四脚をもつ八幡鳥居型といえば良いのかな?「八幡」と「両部」の合いの子です。m85-31-09 F9781

m85-31-10 F9783

金比羅様といえば、本来は「海運」の神様。どうして、ここに有るのか? 「多摩の神社準備室」に伺って見ます。

『金毘羅社 鎮座地 高月町2371
祭神 大物主命(おおものぬしのみこと) 旧格式 なし 別当寺 村民持ち
解説
滝山城本丸跡に鎮座する。
天明年間(1781~89)多摩川の水運に携わる滝村の人々によって創建された。』

だそうです。「海運」→「水運」ということで、滝村の人々が選んだのですね。滝村は、多摩川と秋川が合流点地域ですから、筏などの仕事に携わる方も多かったのでしょう。

m85-31-11 F9784

額の文字は「金毘羅」ですね。ここも、覆殿でした。中に神殿が納められています。

m85-31-12 F9786

m85-31-13 F9789

お詣りをして、本丸から下る事にしました。引き橋の上から見えた本丸に直接入る道を探します。

由来書きの石碑がありました。江戸時代、筏に人や物資を乗せて江戸に運んだという歴史が書かれています。

景色を見るのを忘れてる! 搦め手の説明板もあるよ・・・成る程、当時の搦め手口は、高月城のある方向になっていたのですね。その方向が、木の間から見えていました。

現在の入口があると、城攻めはもっと簡単だったでしょう。右側の地図の右端にある太い道が現在の通路ですから。

 

m85-31-14 F9794

m85-31-15 F9797

m85-31-16 F9800

 

 

 

 

 

 

 

 

草むらに茸発見。淡い色ですが、ちょっと綺麗な茸です。踏まないように足を運んで、また霞神社の方に戻りました。

m85-31-17 F9804

見付けたのは井戸です。おそらく昔の井戸を復元整備したものでしょう。高台に作られた城では、水源がないと籠城できません。名城とうたわれた「熊本城」には、三本の井戸がありましたっけ。

さて、どこから下るのだ?

 

m85-31-18 F9802

このみちを左に下るようです。どんどん下って行くと、また虎口が作られた場所に出ました。つまり、小宮曲輪方面から直接本丸に行こうとしたときも、虎口が待ち構えていたわけです。

そして、引き橋の下に出て来ました。

 

m85-31-19 F9812

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここをくぐって、高月の方に行きます。圓通寺の奧の院があるのかどうか、一応覗いておかないといけないなあ・・・それと、高月城址って入れるのかなあ?

m85-31-20 F9814

石畳の道を下って行くと、左手に、冒頭でお見せした、金毘羅さんの長い石段がありました。

この石畳の道を、一度4輪駆動車で走った記憶が戻って来ました。。でも今は通行禁止。わざと大きな段差を設けた場所もありました。m85-31-21 F9823

広告
カテゴリー: 里山, 公園, 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中