2014/10/15: 続・ときがわ町散歩;木瓜爺撮歩88-07 白石神社 (No.2108)

白石神社は、八高線を渡ります。とりあえず線路沿いに歩くことにして・・

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踏切はどこだ? 向こうにありそうだな・・・

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踏切を渡って道なりに進むと、県道に出ました。五明の交差点に向かいます。交差点を越えて直進。あの林辺りです。

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「白石神社」のバス停、間違いないようです。多分、「はくせき神社」と読むのでしょう。この神社ほど、公称と民称(?)で、祭神が違う神社は珍しいでしょう。そのことは、埼玉県神社庁の「埼玉の神社」という資料に詳しく書かれていました。公称の祭神は、主神「大已貴命(おおなむちのみこと)」、合祀神「中筒男命(なかつつおのみこと)」「別雷命(わけいかづちのみこと)」「菅原道真」。神社由来の全く関係のない神様の名前が並んでいます。言い伝えの方が、よほど面白いです。

江戸時代の方ですが、「新井白石(あらいはくせき)」という学者をご存じでしょう?

この「新井白石」の一生は波瀾万丈なのですが、最も活躍したのは、六代将軍「徳川家宣(いえのぶ)」を御用人「間部詮房(まなべあきふさ)」と共にサポートして「正徳の治」といわれる一時期をもたらしたことです。この時の白石は、老中というような権力の座ではなく、単なる「旗本」、いわば「将軍のブレーン・スタッフ」という形で成し遂げたことで有名なのです。「正徳の治」というのは、儒学を基礎とした政治の期間ですが、五代将軍綱吉の作ったおかしな法、例えば「生類憐れみの法」などを廃し、乱れていた政治を正したのでした。家宣の死後、家継将軍もサポートしますが、家継が死んで、後継者争いの後、八代将軍吉宗には嫌われ(?)失脚します。失脚後は、著述業に専念して立派な業績を残しています。

この一生のいつの時期か、木瓜爺ははっきりつかめないのですが、おそらく家宣が将軍になった頃でしょう、新井白石はこの現ときがわ町あたりの三か村で500石ほどを頂いています。この地に暮らすほど閑があったとも思えないのですが、言い伝えでは、この近くに住んでいて、この白石神社の元になる神社も作ったということになっているようです。

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神社の横に並んでいた石碑です。向かってm88-07-06 F0865右から、庚申塔、秩父巡礼供養塔、二十二夜供養、馬頭尊(馬頭観音のこと)。ここも二十二夜ですね。二十三夜ですと「勢至菩薩」なのですが、二十二夜は「如意輪観音」・・覚えました。

昔話に戻って、この神社の創建は宝栄7(1710)年。徳川家宣が将軍になったのが、宝栄6(1709)年なのです。江戸末期に書かれた例の「新編武蔵風土記稿」には、こう書かれているそうです。「祭神詳らかならず。「栃の宮」と呼ばれる「小名栃」という場所にあり、村の鎮守。」

言い伝えでは、白石が周囲に栃の木を植えて「栃の宮」と名付け、白石の死後、「栃の宮」を「白石大明神」として、白石を祀った。となっています。昭和三十六年の改修の頃まで、「御神体は白い石」だったそうですが、崩れてしまって今はない・・・先ほどの神社庁資料の記述です。 この都幾川付近では、「滑石」という白い石が採掘されていますから、そういう石が御神体になっていたのでしょう。しかし、白い石を祀って「白石神社」・・・いいなあ・・

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鳥居をくぐりました。右の建物は社務所でしょう。左に手水舎。参道を進むと、左側にまた石碑の群。ここは「板碑」が並んでいます。

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「種子」を記したものが多いようです。つまり、仏様です。

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神社由来書きの石碑がありました。先ほどから書いているようなことが書かれています。この神社、しばしば火災に見舞われているようでした。明治4年に村社になりますが、明治5年に焼失。さらに、明治15年に「玉川火災」という大火災で焼けています。

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社殿、見た目は小さいですね。「学問の神様 白石神社」の看板がありますが、「白石大明神」の担当なのか、「菅原道真」の担当なのか?  白石は徳川の家臣でしたから、明治新政府としては、認められない! として、菅原道真を引っ張ってきたのでしょうね。

そうそう、妙に小さく見える社殿ですが、横に回るとびっくりするのです。

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おいおい、ほんとかい? 後部の神殿を見に行きましょう。

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これが、本神殿です。 境内に、末社があります。珍しい高床式!

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よくよく見ると、「八雲神社」の額が付いていました。「素戔嗚尊」です。いつ追加になったのか? さて、こんなところで、そろそろ明覚の駅に戻ることにします。八高線は本数が少ないので、気を付けなければ・・・現在時刻12:45 電車は、13:34。急ぎ足で、最短距離を歩けば間に合うかな・・間に合わなければ14:33 まあいいや、駅のベンチで昼寝しよう・・のんびりしてしまう「ときがわ町」なのです。

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