2014/10/19: 八ヶ岳南麓散歩;木瓜爺撮歩89-03 八岳山法性寺 (No.2112)

「三分一湧水」の園地から少し線路のほうに戻って、ガソリンスタンドの所で左折、西に向かいます。地図では最初の道を右に入って小海線の線路をくぐるようです・・・と、覚えていた筈なのですが・・・

ガソリンスタンドの手前で左に曲がると橋がありました。この川、「高川」という「権現岳」に近い「三ッ頭」と「前三ッ頭」の間から流れ出した川ですが、小荒間に入る辺りで二つに分かれます。東側の川は、甲斐小泉駅の東を流れ、西側の川は駅の西を流れるという不思議な川。おそらく、西側の流れは人為的に作られたものではないかと思うのですが、これが「三分一湧水」のすぐ西にあるのです。橋を渡りながら、下をみると・・・草ばかりで水がありません。左隅っこの暗いところを流れているのかなあ?・・・疑惑浮上! 上流部を確かめないと分かりませんが、ひょっとすると「三分一湧水」の水量不足を補うために??・・・

道路が造られ、住宅が出来、これだけ開けてきたのに、湧水が減らない筈がない、地下に細工をして噴出を作っていても、不思議ではない周囲変化が起きています。

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この川沿いに、石仏発見、

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ちょっと寄り道します。下の写真、本来は真っ直ぐ行くのですが、左に入りました。

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一つは「馬頭観音」でしょう。もう一つは、よく分かりません。裏側を見ているのかな?  忘れっぽくなっている木瓜爺、二つの場所で注意を取られてしまい、右折すべき道に入り損ねてしまいました(帰りに通りましたが)。

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「信号」のある交差点で気が付きました。・・・あれ! 通り過ぎてしまった、地図を確認すると、信号で右折しても、法性寺の裏側には行けるようです。

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小海線の下をくぐり、進んで行きますと墓地にでました。右折して墓地を通過。

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お寺の正面に出ます。

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「八岳山法性禅寺」。インターネット検索では「曹洞宗」と言うことしか出て来ません。この木瓜爺撮歩は、貴重な情報(?)になるかな? 気合いを入れて紹介するぞ・・昭和55年に作られた由来碑が境内にあります。文字知識不足で読み切れない部分がありますが、分かる限りで転記してみます。但し、文字は句読点を加えて、現代風にしておきます。

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《 由来   当山は今より三百九十七年前、天文二十二年(1553年)武田信玄公開基寺にして、法名は法性院殿機山玄公大居士、越後の上杉謙信村上義晴(清?)との川中島合戦当時の祈願せし寺にして、境内東側の棒道が昔の甲斐と信州を結ぶ重要なる軍用道路として使用せられ又関所も現在の道祖神一七三〇の一敷地内に有り。その当時武田が建立せし寺は神明山宝勝院八嶽権現神社とも称え岐伊国(今の岐阜県)高野山弘法大師の末寺にして真言宗なるが故に祈祷配付札所別当所は宝勝院住職の職務として甲州信州を配札したが由、然るに真言宗僧侶断絶して寛永元年、秋田村淸光寺末として淸光寺九世日湖(?)元親(?)大和尚を勧請開山として、八岳法性寺と称するようになった。並真言宗十九世住職相伝致し年々前社八月八日に祭典をなし一村寄り集り住職は天下泰平国家安全万民快楽五穀豊穣成就を祈祷せしと伝われり。 今は社は立腐りとなり昔を偲ぶ所は今はなし。  地所 一反四畝二十歩  前社 間口四間三尺 奥行 二間半  (以下省略します)》

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本堂の横に新しい庫裡が出来て居ます。窓はみんな閉まっているようです。先ほどの「由来」を整理しましょう。天文22(1553)年、武田信玄の開基。この1553年というのは、信玄が村上義清(由来碑では「晴」に見えたのですが「清」が正しいでしょう)を居城の葛尾城(更級郡)から追い出した年です。

その次に出てくる「法性寺殿機山玄公大居士」というのは、信玄の法名としていますが、雑学を披露しますと、信玄には法名(戒名)が二つ存在しています。一つは、恵林寺の墓所に記された「恵林寺殿機山玄公大居士」、もう一つが、甲府市古府中町にある墓の「法性院殿機山玄公大居士」です。甲府市岩窪町にある「信玄火葬塚」でも、「法性院殿機山玄公大居士」が使われているとのことです。三つ目がありました。これは高野山だそうですが、五輪塔だったか・・「法性院機山信玄」・・まあこれは略称的なものでしょう。ところで、先ほどの由来書は「法性寺殿機山玄公大居士」これが四つめの名前です。「院」から「寺」に替わっているのです。つまり、この由緒碑では、古府中の墓が「法性」の文字を使っているので、それを利用し、院から寺に変えたのでしょう。悪気はなくて、同じだと思ったのかもしれません。

武田氏によって建立されたのは、寺ではなくて「権現様」だったようです。それが「神明山宝勝院八嶽権現神社」。「宝勝院」が別当寺なのでしょう。当時は「真言宗」だったと書かれています。跡継ぎがいなくなって、秋田村・・この村は、同じ北杜市にある村、隣村の名前、・・淸光寺の末になった。この淸光寺は現存する長坂町大八田6600 のお寺だと思いますが曹洞宗です。ここで、真言宗→曹洞宗になったのかもしれません。改めて「八岳山法性寺」が開山されたわけですね。再開山の時期が書かれていないのが残念です。

もう一つ気になったのは、岐阜県の高野山という記述です。高野山は和歌山県ですから、岐伊国は紀伊国の間違いじゃないかということ。岐阜県に大きな高野山出張所(?)があるのかどうか、これは後で調べて見ます。きりがないので、このくらいにしておきます。

境内にあった石仏を写して来たのですが、「石幡」(石灯籠)は写し忘れました。本堂と庫裡を写した写真の右端にある物です。これは、何か良さそうなものですよ、年号入りかもしれない・・・まず、子安観音から・・

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そうか、この幟を立ておられることを考えると、無住ではないですね。祈願してほしい方が居られれば対応しなくてはいけませんからね。

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境内の「千手観音」様。後ろにも石碑がありますね。

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ちょっと露出補正を忘れたようです。この時間あたりから、木瓜爺の脳みそ、糖分が不足し始めていたらしい・・・明日は迷子になります。

「法性寺」を辞して、東側の道を北上します。登山地図を見ると、棒道に入る前に「妙進院」というお寺があるらしい・・・そこに寄ろうと思いました。

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