2014/10/22: 八ヶ岳南麓;木瓜爺撮歩89-06 謎の「妙進院」 (No.2115)

TAKAHASHIさんに教わった道を探します。

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この道を進んで、二本目を右に入ったところだそうです。一本目の道の先に、「西国三十番」らしき観音様がありました。「千手観音」です。

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「棒道ガイドブック」を見ると、ここまでの間に、二十九番の「馬頭観音」があることになっています。公園の所で、大勢の馬頭観音様を見ていたので、見落としてしまったのでしょうか? ただ、ガイドブック以前に作られた信玄棒道コースの地図では、二十四番も二十九番も記載されていません。その頃には見つかっていなかったのかもしれません。西国二十九番は「靑葉山松尾寺」で「馬頭観音」だから合っています。三十番は「厳金山宝厳寺の千手観音」でOKです。

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二本目の道です。確かに建物はありません。奥の方に塔が見えます。この「妙進院」日蓮宗系な名前ですが、インターネットで分かるのは「小荒間1647」という住所と、電話番号だけです。地図には卍マークが残っています。木瓜爺撮歩では、滝山街道を歩いた時、土地だけのお寺「金峰山金剛院金蔵寺」というのに遭遇したことがありますが、ここもそれに近い状態なのかもしれません。参道には、お堂を解体した残骸のようなものも見えます。

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参道の一番奥にあった「五輪塔」です。文字が読めますか? 「妙法蓮華経」の五文字が刻まれています。やはり日蓮宗系でした。五輪塔自体はやや新しいですが、両側の塔は上部が古そうですね。古い五輪塔のリサイクルのようです。そう言えば、武田信玄の信仰のことを書いていませんでしたね。剃髪するまでの信玄は、「諏訪大社」の信者という感じです。信玄が作ったという「甲州法度次第」という「家法」・・この場合は、家来達への規制です・・には、「武田家家臣は一宗一派に属してはならない」としています。仏を信じても、一つの宗派に偏ってはいかんというのです。信玄自身は、信長の比叡山焼き討ち事件のあと、比叡山(天台宗)を逃げ出した「随風(のちの天海)」を招聘しており、天台宗によって入道になっています。晩年は天台宗なのです。しかし、政治的には、身延山のような日蓮宗系も平等に扱っているようです。

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建物があったような痕跡は残っています。古い石材や木材も積まれていました。

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直ぐ横も後ろも別荘地です。これでは、墓地商売も出来そうにありませんね。

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いずれは、別荘地に取り込まれてしまうのでしょうか。 しばらくやんでいた雨がまたぱらつき出しました。どうしよう?・・木瓜爺、撮歩89の冒頭に書きましたように、体力一杯の重さのザックを担いでいますので、かなり疲れてきたようです。女取湧水までは行きたかったのですが、見られないというし、気力が低下しています。地図を見ると、ちょっと先に「棒道橋」というのがあるらしい。そこまで行く事にします。行って見るとなんということもない橋。何となく渡って・・

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ちょっと綺麗にした場所に来ました。「信玄棒道コース」という小さな表示。ここまでにします。駅から真っ直ぐ来れば、三十分強でしょう。この次はこの辺りから先に進む事にして、今回は引き上げます。・・・結果論ですが、あと十五分ほど頑張って、棒道と女取湧水の分かれ道まで進んでおけば、いろんな意味でキリがよかったようです。

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秋を眺めながら、甲斐小泉駅に戻ります。途中、もう一ヶ所「関所跡」を見て行きます。

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