2014/11/01: 続・日野市散歩;木瓜爺撮歩90-08 有王山 地蔵院 延命寺 (No.2125)

m90-08-01 F1381道路を横断して、ドッグランのあった堤防側に移りました。小公園のようなものがあり、公園のような所にはトイレも作られています。そこを通って、堤防上の散策路を歩くことにしました。浅川という川は、確か八王子市役所のあたりで南浅川と北浅川が合流していますが、南浅川が小仏峠や高尾山付近の水を集めていた筈。先日歩いた万願寺あたりは、多摩川と浅川の合流点に近く、両方の川の氾濫に悩まされた場所でしょう。浅川の右岸は、多摩丘陵とか七生丘陵とか呼ばれ、左岸は日野台地と呼ばれるようです。

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向こう岸に見えているのが、七生丘陵です。高幡不動の五重塔が見えるかな? 解像力が悪くて分かりませんね。この位置からですと、建物の陰になっているかな?

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市民プールの所までやっていました。横を通って進むと、分かれ道です。

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このまま進んで行くとどうなるのか? あの高い木のあるところが、「日枝神社」で、その横に見える屋根が「延命寺」だと思うのですが・・・地図を見ると、どうも右側から入るように見えます。ということは、ここで右折して、バスの通る道に戻った方が良さそうです。あとで分かりましたが、真っ直ぐ行くと散歩者用の休憩場があって、そこから「日枝神社」の裏に入る事ができるようになっていました。

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この頃のこういうツールは面白いですね。蛙クンご苦労さん・・

バス通りに出て右に行きます。バス停がありました。

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このバス停の横は畑です。そこにこんな道がありました。これが、参道だったのですが、そんなこととは気付かず通過してしまいました。解説しますと、見えている右に行く道が「延命寺」真っ直ぐ行って突き当たりを右折すると「日枝神社」なのです。

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通過してしまった木瓜爺ですが、車が入る寺の入口がありました。そこから入りましたので、実害はありません。m90-08-06 F1389 延命寺

 

 

 

 

ここにも、石柱が立っていて「真言宗 延命寺」と彫られています。墓地の受付らしい事務所がありましたが、人影はなし。その後ろあたりから、石物が沢山並んでいました。

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車の蔭になっている所から見ます。

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端っこにある文字碑は、「阿川文齋」という方の弟子達が先生の業績をたたえたもののようです。説明板もあるのですが、コントラストが低くてうまく写りません。

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これは、種子(梵字)の阿弥陀三尊か何かでしょうが、木瓜爺には解読困難。写していない真ん中の石は「普門品供養塔」。「普門品」というのは「観音経」ですね。

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これは「水子地蔵」ちゃんと説明板も作って有りました。その次にあったお地蔵様が、「阿川地蔵」と書かれていました。先ほどの先生に関連する物でしょう。

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いろいろ有るのですが、この寺の説明は、日野観光協会さんに尋ねようか・・

多摩八十八か所霊場 第八十三番札所
日野七福神 寿老尊

場 所:日野市川辺堀之内595

成る程、寿老人も居られるのですね。どこに居られるのかな、幟が立っています。m90-08-15 F1404

 

 

m90-08-16 F1405 寿老人

 

 

 

寿老人の手前に、歴史的に重要なものも有りましたが、写真はどれだ?m90-08-14 F1402

これですね。右のコンクリートでつなぎ合わせた板碑です。m90-08-13 F1401

梵字の阿弥陀三尊の回りを「光明真言」が囲んでいるとのこと。文明2年ですか・・・

さて、早く本堂に行かないと・・・おっと、「六地蔵」さんが揃っておられた。

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それと、珍しいものを発見。「六地蔵」信仰の起源のようなお話が書かれているのです。「今昔物語」にそれがあるのだそうです。このお寺の説明板、非常に丁寧に書かれている感じです。写していないのですが、水子地蔵などの説明にも苦心が見られました。

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この「六地蔵」様の居られる場所が、バス停からの参道の入口なのです。

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ここには、「有王山」「延命寺」の門柱が立っています。

「猫のあしあと」というデーターベースには、こう書かれていました。

新編武蔵風土記稿による延命寺の縁起:

(川邊堀之内村附持添新田)別当延命寺
新義真言宗、高幡村金剛寺の末なり、有王山地蔵院と號す、本堂七間に五間、本尊地蔵の坐像、長六寸許なるを安置す(新編武蔵風土記稿より) 』

日野観光協会のページでは、『延命寺真言宗智山派で本尊は運慶作の延命地蔵菩薩です。本尊は秘仏として厨子内に安置され、住僧一代一度の開扉がしきたりで、俗に枕返し地蔵と呼ばれていました。・・・(中略)・・・開基は不明ですが、南北朝時代とも、新田義貞の鎌倉攻めで落武者の内藤一族が帰農し戦死者や先祖を弔うため堂宇を建立したとも、伝えられています。』

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真偽はともかくとして、南北朝時代に近い頃に作られたお寺という事です。

ただ、洪水の被害がありそうな場所なのですが、無事だったのでしょうか?

住職様も一代で一回しか拝めないという本尊の延命地蔵、本物の「運慶作」とすれば、鎌倉時代ですよ・・南北朝以前なのですがねえ? なぜ、鎌倉時代に創建と云えないのかな?

ちょっと靄っていますね。 さて、日枝神社には、どこから行くの? というところから明日に・・

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