2014/11/03: 続・日野市散歩;木瓜爺撮歩90-10 豊田・若宮神社 (No.2127)

今年も文化の日になりました。まもなく年末、そして正月。正月に「七福神めぐり」をされる方も多いようです。日野市にも、開運「七福神めぐり」というのがあるようで、先日パンフレットを頂きました。①「恵比寿天」が「真照寺」・・この真照寺は、京王線「百草園駅」の近くですが、木瓜爺はまだ寄っていないようです。②「福禄寿」が「石田寺」(2014/10/26ブログ)、③「毘沙門天」は「安養寺」(2014/10/29ブログ)、④「弁財天」は「高幡不動尊」。Choi-Boke爺ちゃんが、04- 木瓜爺撮歩63-8 高幡不動尊8 弁天池付近 (No.1639)  で、弁天様にお詣りしています。 ⑤「寿老尊」は「延命寺」(2014/11/01)、⑥「大黒天」は「善生寺」・・ここは、まだ行っていません。⑦「布袋尊」は「宗印寺」(2014/8/15)ということで、二ヶ所未参拝です。年内に、これを片付け(?)ないといけませんね。このうちの、「善生寺」が面白いのです。まず、そこに行こう・・・ m90-10-00 F1810 この大仏様、善生寺にあるのです。ここを目指して出発! 「善生寺」は、日野市東豊田2-26-3だそうです。ここに行くには、JR「豊田駅」または京王線「南平駅」なのですが、時間的にはどちらも15分と書かれていました。地図上では豊田の方が心持ち近いようなのですが、ちょっと途中が分かりにくいようでした。 ちょっと詳しい地図をダウンロードして、それを片手に、豊田駅で降りました。分かりやすく歩こうと、北口に出て、線路沿いの道ではなく次の道を右に入りました。この道は、段丘を下って、こんな場所を通ります。 m90-10-01 F1734 豊田 この段丘は、湧水が多いのですが、その水が冷たすぎて稲作に使えず、お百姓さんが「悪い水」という意味で「黒川」と読んだのが川の名前になったとか・・稲穂が黒くなる病気でも発生したのかな? ちなみに、「黒川」という名前、「燃える水の川」、つまり石油のでる地域に結構多いのだそうですよ。池になっていましたが、写真に撮したらフレアが一杯出てしまいました。保護フィルターにゴミがついていたのかも知れません。時々こういうへまをするのが、木瓜爺の特徴! m90-10-02 F1735 m90-10-03 F1736すまして「霊験あらたかな竜神が住んでいる池なのだ」と、言っておけば良いのかな? 池の水は、細い水路で、流れて行きます。直ぐに線路を渡る道もあったのですが、「段丘崖散歩」を続けました。右手に出て来たのは、公園の標識です。m90-10-04 F1737         左側は斜面になっています。家も建っているのですが・・m90-10-05 F1738   この斜面の上の方に、山王様があったのかな? 横に説明板を見付けました。ちょっと読みにくいけど、判読は出来そうです。左側の山は「かじ山」で「日枝神社」があったと書かれています。 m90-10-06 F1739 m90-10-07 F1740水は、汲み上げて台地の上でも使ったようですね。大変だったろうな・・もう一度斜面を見上げますと、山王様の石段だったかもしれない石段が見えていました。 さて、そろそろ線路を渡る事にしようかと、次の道で右折、運良く踏み切りがあって、渡る事ができました。m90-10-08 F1742角に医院が有りました。         線路沿いに進みます。ちょっと住人に道を伺うと、途中から右ナナメに入る道が「善生寺」の大仏の横にでる近道だとのことです。このナナメに入る道とおぼしき辻にさしかかったとき、思わぬ物が目に入りました。この看板です。 m90-10-09 F1743                     持っていた地図には表示されていなかったのですが、「豊田・若宮神社」です。豊田と付けたのは、高幡不動の「若宮神社」の方が有名だからです。これは、寄らねばなるまい・・・入口は三ヶ所有りました。写真の左のちょっと先と、右のちょっと先。左は社m90-10-10 F1751殿の裏から入り、右は社殿の横から入れます。木瓜爺は、右の坂を下って、三番目の入口、坂下にある鳥居をくぐることにします。 黒い額には「若宮神社」と彫られています。この神社、幾つもの神社が集まった神社のようで、社殿の裏から入るとその経過が石碑になっています。あとで説明しましょう。m90-10-11 F1744           実は10月の末になって、「新編武蔵風土記稿」の「日野市」相当部分が、ネット上で公開されていることを発見しました。これは、有難い資料です。今日から使用させて貰います。例えば、「豊田村」ですが・・ 豊田村:豊田村ハ郡ノ中央ヨリスコシク南ニアリ。徳常郷高倉庄ト唱フ。江戸日本橋ヨリ行程十里餘。村ノ廣サ東西ヘ十八丁許。南北ヘ十丁餘。四境ハ東。平堀之内ノ二村ニテ。南ハ平山村ニツヾキ。西ハ高幡村ノ新田ニ隣リ。北ハ日野新田ニサカヘリ。村内スベテ平地ニシテ。土性ハ黒野土ナリ。田少ク畑多シ。民戸ハ七十五軒。處々ニ散住ス。又山林トテ北ノ方二町三反アリ。山林トハイヘド平地ニシテ松杉多クタテリ。コノ外地頭林三カ所アリ。地頭ハ正保ノ頃大久保勘三郎ニテ今モ子孫大久保矢九郎知行セリ。ソノ賜リシ年歴ハ傳ヘズ。檢地ハ古水帳ニ文禄三年甲午九月十五日。田邉十郎右衛門。高野善次。山浦彌蔵トアリ。コノコロヨリ大久保氏ニタマヒシヤ。又ハ御料所ニテモアリシニヤ。スベテ詳ニ傳ヘズ。村民ノナリハイ上ノ村ニヲナジ。新田モアレド持添ニシテ民家ハナシ。 ね、凄いでしょう。神社の記述を見ますと・・・5社書かれています。 八幡社   除地一段 地頭除二段 小名矢崎ニアリ。小社ニテ上屋アリ。巽向ナリ。 前ニワヅカノ石階アリ。村内善生寺ノ持。 惣身明神社 除地一段 村ノ上ノ方ニアリ。小社ニテ巽向ナリ。此社モト白髭明神ト號セシヲ。寶歴九年再建ノ時。棟札ヘ惣身明神ト別當寺ノ住職書シヨリ。今ニカク號セリト。オモフニ扁額スルホドノコトナレバ。妄ニ書改シニハアルベカラズ。是モ善生寺ノ持。 天神社   除地一段 村ノ中央ニアリ。善生寺ノ持。 山王社   除地一段 字黒川ニアリ。コレモ善生寺ノ持。 三島社   除地一段 村ノ東ノ方ニアリ。善生寺ノ持。 若宮社   除地一段 コレモ村ノ東ノ方ニアリ。小社ナリ。上屋二間四方。拝殿二間ニ四間。神体石ノ坐像。長五寸バカリ。東帯ノカタチナリ。棟札ニ慶安後壬辰年。時ノ地頭大久保勘三郎建立ノヨシヲシル。例祭九月九日。善生寺ノ持。 これがどう変わって行くかというと、昭和30年代のことらしいのですが、「若宮神社」の境内が削られて小さくなってしまったので、離れた場所にあった「天神社」の氏子達が、天神社の土地を「若宮神社」の横の土地と交換することで「若宮神社境内」を拡張出来るようにし、「若宮神社」と同居・・昭和36年「白髭神社」を「若宮神社」に合祀。昭和40年「日枝神社(山王社)」を「若宮神社」に合祀。昭和47年「八幡神社」を合祀・・ということで、先ほどの6社の内の5社が、ここに集結したのです。 ただし、「白髭神社」に関しては、現在でも豊田4-9という旧所在地に小社が残され、「塩土翁命(白土爺命)」が祀られているそうです。 m90-10-13 F1748 これが、昭和57年に改築された社殿です。祭神の公称(?)は、「仁徳天皇」「猿田彦神」「大山咋命」「応神天皇」「菅原道真」。ここの「仁徳天皇」はどこからか・・ははあ、分かりました。「八幡神社」が応神天皇ですね、この「若宮神社」というのは、正しくは「若宮八幡社」なのです。それで、「大鷦鷯命(おおさざきのみこと)」すなわち「仁徳天皇」が居られるのです。 この社殿とは別に、「参集殿」があります。この参集殿の前の狛犬が素晴らしい。 m90-10-14 F1754 拡大しましょう。安政9(1753)年の奉納品です。 m90-10-15 F1755 m90-10-16 F1756             社殿前の狛犬が、わし等も載せろと行っております。 m90-10-18 F1760 m90-10-19 F1761   m90-10-17 F1753もう一つ、境内社がありました。左の神社ですが、何か分かりません。 では、本殿の方にお詣りして・・・ m90-10-20 F1762             裏から出て、大仏様に向かいます。

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