2014/11/18: 八王子散歩;木瓜爺撮歩91-03 石川・日枝神社と笛継観世音 (No.2143)

この辺りに日枝神社がある筈と見上げると確かにありました。石段を上がります。

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m91-03-02 F1500 日枝神社

m91-03-06 F1509鳥居の基礎の部分に奉納の時期らしい年号がありました。昭和6年となっています。

「日枝神社」ですから、基本的な祭神は「大山咋神」でしょう。「日吉神社」と同じく、京都の「日吉大社」が本社になります。狭い境内で何もありません。

m91-03-03 F1502m91-03-04 F1505参拝ついでに、ちょっと中を覗いてみます。おやおや・・神殿が二つありますよ? もう一方おられるようです。常識的には「大山咋神」と「大己貴神」の筈です。上の額は「表彰状」のようです。下の板のは「記録」と書かれているようですが、読めませんねえ・・「当社は日枝神社・」と冒頭の処は読めたのですが、その後が分かりません。もう少しピントが良ければ何か分かったかも知れません。「多摩の神社準備室」には、「東福寺の鎮守社ではなかろうか・・」と書かれていましたが、この説に賛成です。と、書いたのですが、地元の「へーすけ」さんからコメントを頂きました。直接的な関連はないようです。コメントを参照して下さい。

その「東福寺」の方も、永禄12(1567)年の武田勢の滝山攻め、若しくは天正18(1590)年の豊臣勢の八王子城攻め戦火で記録を全部消失したらしいと、天台宗東京教区の資料に書かれていました。

m91-03-05 F1508日枝神社の直ぐ隣にある「東福寺」は「如意山 寶珠院 東福寺」というお寺です。記録が失われたため、開創は宝永2(1705)年以前という表現になっていました。これは、中興なさった「七世栄源法印」という方が宝永2(1705)年4月没ということから来ているようです。

文久年間(1861-1863)に風災で本堂破壊、観音堂は無事だったようです。昭和になってからも阿弥陀堂が火災で焼失・・・ついていないお寺のようです。ひょっとすると、日枝神社には秋葉神社か愛宕神社でも合祀ししているかも。 「東福寺」の山門前にやってきました。この山門は平成8年、比叡山m91-03-07 F1510開創1200年の記念に新築された物だそうm91-03-08 F1513です。

このお寺には、現在観音堂、本堂(阿弥陀堂)、庫裡、客殿などがあります。まず、観音堂です。「十一面観音」だそうですが、秘仏になっていて、60年に一回の公開があるそうです。

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あれーっ、狛犬がおります。神仏混交の時代には、神社も仏閣も「番犬?」を飼っていましたので、神社=狛犬となったのは、明治以降のことです。ですから昔の物とばかり思っていたのですが、この狛犬、寄贈の日を見ると、なんと昭和17年なのです。かなりへそ曲がりの壇徒さんですね。「へーすけ」さんのお話では、元々神社だったところに、観音様が借り家で入られたということのようですね。

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この観音様は「笛継観音」と呼ばれています。八王子の昔話として、八王子図書館の頁にこんなお話が出ていました。「氏照」と書かれているのは「北条氏照」です。

『笛の彦兵衛
氏照さまは武将としても誉れ高いが、学芸にも秀でられ、とくに横笛の名手として知られておった。
氏照さまの笛の合方は、浅利彦兵衛というお人じゃった。
滝山城合戦の折、彦兵衛どのは、氏照さまから「大黒」という名笛をあずかった。だが、戦場をかけめぐるうち、その笛が折れているのに気づいた。
「氏照さまの愛笛を損じてしまい、申しわけなし」と彦兵衛どのが苦悩しておると、夢に地蔵尊が現れ「粟之州村の観音に祈願せよ」と、教えてくださった。
よろこんだ彦兵衛どのは、さっそく粟之州村の観音堂に籠(こも)った。そして、満願の日、観音さまからの、「願い、ききとどけたぞ」というお告げがあり、笛は無事復元した。このことを聞いた氏照さまは、大いに称賛なされ、たくさんの褒賞と笛の姓をくださった。それより、彦兵衛どのは「笛の彦兵衛」と呼ばれ、粟之州村の観音は「笛継観音」と呼ばれた。
『とんとんむかし』 菊地 正 著 東京新聞出版局 昭和62 年発行より』

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2014/11/18: 八王子散歩;木瓜爺撮歩91-03 石川・日枝神社と笛継観世音 (No.2143) への2件のフィードバック

  1. へーすけ より:

    地元として
    東福寺さんはもともとは小宮町の鎮守日吉神社さんの隣にありました
    天台宗のお寺さんの通り守護神は日吉様です
    ここも火災により焼失し 今の場所にもともとあった観音堂に間借りしたのが
    現在まで続いてます
    漢音堂は神社だったので狛犬が鎮座しています

    隣の日枝神社は東福寺とは関連ありません
    日枝神社は石川町の日向部落の守り神でとして
    こちらも個人で作られたものです

    • bokejii より:

      なるほど、 東福寺は小宮町からの移転ですか・・・神社に観音様が間借りなさった・・・ははあ、これは複雑ですね。 頭を整理して、後ほどブログを修正しましょう。

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