稲荷神社も色々ありますが、「日本三大稲荷」は一番が伏見稲荷であることは確かなようですが、後の二つが少々もめるようです。笠間稲荷が二番かなあ? この笠間稲荷は「関東三大稲荷」の筆頭にあげられるようですから。それで、その関東の方ですが、後の二つが、王子の「装束稲荷」と、秦野の「白笹稲荷」なのです。地図の上で小宮に「白笹稲荷神社」の文字を発見した時は、あれ? 凄い名前が出て来たけど、あれ八王子ではなかったなあ? と、首をひねり、調べなおして、「秦野」だった・・・と、再記憶した次第。
で、諏訪大地主神社から、方角的には北なのですが、道としてはジグザグしながら進んで行きました。すると、畑の横の空地の草むらで発見。
いやにみすぼらしい「三大稲荷」だなあ・・秦野の「白笹稲荷」を勧請した「屋敷神」だったのでしょうか?
秦野の「白笹稲荷」の祭神は、ちょっと変わっていましたよ・・「宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)」「大宮売命(おおみやめのみこと)」「猿田彦命」でした。「宇迦御魂命」は「倉稲魂命」と書くこともあります。稲荷神社の主神ですね。そうそう、「伏見稲荷大社」の祭神は「稲荷大神」という言葉で扱っていました。この「大神」表現は複数の神様を一団として扱うときの常套手段。「諏訪大神」とか「春日大神」とか・・
それにしても、草むしていますねえ。草をかき分けてお詣りです。中には、小さな神殿が納められていました。小さいけれど、きちんとした造りのようです。
稲荷神社につきものの狐の人形もおかれていません。
ともあれ、拝んで失礼します。
いつもの「多摩の神社準備室」にも、参考になる記事は見つかりません。住所がありました。小宮町1039・・地図で見ると石川町のように見えたのですが、小宮町でした。ここから西の方に行きます。59号線という道路を越えたところに八坂神社が書かれていました。ちょっと分かりにくいところもありましたが、無事に到着。今度は、一見ちゃんとした神社に見えます。
「八坂神社」というのは、ご存じの「祇園さん」。全国に2300程出来て居ます。昔をたどれば、「牛頭天王宮」・・・祭神は「素戔嗚尊」です。「日吉大社」の系統に「日吉神社」と「日枝神社」があったように、「祇園社」の系統には「八坂神社」と「八雲神社」がありますね。どういう使い分けになっているのか、木瓜爺には分かりません。
とにかくお詣りしようと、社殿に近づいたのですが、何だか変です。お賽銭箱がありません。それに、扉が開いているみたいだよ? なかを覗いてびっくり!
「物置だあー」。御輿置場なのです。手前のカバーが掛かったのはやや大型の御輿でしょう。奥の方に、ちょっと小型の御輿もあるようです。御輿ですから神様も居られると思うのですが、お祭りの行事を見ていると、最初に「御霊うつし」をしますね。つまり、神様に御輿に乗って頂く行事の部分があります。だから、多分普段は乗っておられないのでしょう。・・・さーて、困った・・・どう纏めよう? 仕方がありません。「現状は、こういうことになっている神社でした。」という報告です。
59号という道を北に進みます。「蛍見橋」という風流な名前の橋がありました。
しかし、川は石垣に囲まれていて、どうも蛍が育つようには見えませんね。この辺りも、急速に環境変化しているのでしょう。
169号という広い道と交差しました。ここからは、この広い道で東に向かいます。
ちょっとトイレを見付けたくなってきました。どこかにないかな?
MARUHAM って何だろう? スーパーかな? あそこに行って見よう・・
狙いは良かったのですが、店の中身はおおはずれ・・ゲームセンターでした。でも入口入ったところにトイレがあって助かりました。
ここまでが八王子市、ここで、「新旭橋」という橋を渡りますと、日野市に入ります。明日は、撮歩90-13 に戻ります。下の写真は、まだ八王子です。わずかに田圃がありました。
この件に関して知ってるだけですが
白笹稲荷はもともと個人屋敷内の稲荷様です
現在も管理は日野市に住む宮崎様が管理しています
小宮町の八坂様はその通りです(ー_ー)!!
神輿の後ろに祭壇あるんだけどね小さいのが