2014/11/24: 続・日野市散歩;木瓜爺撮歩90-15 東光寺薬師堂 (No.2149)

「萬照山 成就院 東光寺」の「阿弥陀堂」は葬祭場でした。その横に「薬師堂」があります。日野万願寺を歩いた時、最後のところで、東光寺薬師堂の「安産薬師」のポスターを見かけ、そのうち出かけましょうと約束したのですが、今日到達です。

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薬師堂は独立したお堂になっていました。パノラマで描くとこうなります。

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薬師堂だけとりだして・・・

m90-15-02 F1661 薬師堂

入口は、道路に面しています。入口に「摩尼車」がありましたが、これがちょっと変m90-15-06 F1668わっていました。通常は、般若心経などを刻んであるのですが、ここは絵文字?暗号のようですね。般若の面もありますから、多分般若心経でしょう。

もう一つ面白い印形がありましたよ。目的は分かりません。m90-15-04 F1663

表札代わりでしょうか・・・

 

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東光寺の由来が出て来ました。「平安中期、日奉氏が日野台地に居舘を設け、その鬼門の方向に東光寺を建立」、ここでいう鬼門は「東北」。初代の「東光寺」は、地名に名を残して消えてしまったようです。万願寺も地名に名を残して消えていましたね。この薬師堂は「東光寺薬師堂」と呼ばれていますが、それは地名としての東光寺なのでしょうか? まてよ、場所が変わっていますね。300m西にあったとしますと、木瓜爺が昼食をとったあたりです。「栄町5丁目」の交差点辺りなのです。そうしますと、東光寺神明神社とも100m以内の位置になりますね。あの辺に「日奉氏舘」があったのかな?

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m90-15-11 F1677「薬師如来像」は座像で等身大・・かなり大きいですね。ポスターの写真で見ましょう。「日野市観光協会」の説明では、このように書かれています。『成就院の境内に建つ薬師堂は「安産薬師」とも呼ばれています。日奉宗頼の孫の西大夫宗忠がその居城の鬼門よけのために、この薬師堂を建立し、日奉氏没落の後は、荒廃してしまったものを、天正8年(1580)に再建されたと伝えられています。 その後、東光寺村内のある妊婦の夢枕に「枝栗を供えよ。しからば出産は易からん」と、本尊薬師如来のお告げがあったので、この薬師さまに枝栗をお供えしたところはたしてその通り安産だったそうです。これ以来、今でも安産を祈願するものばかりでなく平癒の祈願に参詣する人が多く訪れています。』

安産には関係ありませんが、木瓜爺は通常の「お薬師様」として。「オンコロコロ・・」とご挨拶します。お堂には「瑠璃殿」の額がかかっています。

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薬師堂の周辺にいろんな物があります。これは由来碑ですが、反射で読めませんね。先ほどの二枚の説明板を纏めたような内容で、ちょっと詳しく書かれているようです。

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天台宗の「最澄さん」、「聖観音」・・出世、延命でしょうか。

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「薬師堂本坊」というのは、後ろの建物の事かな? 右は、「庚申塔」みたいですね。横にある文字碑は「三猿大青面金剛」でしょうか? 右の方は間違いなく「青面金剛」が邪鬼を踏み、下の方に三猿がいます。

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草に隠れていたのは恵比寿様と大黑様のようですね。その後ろのほうに社がありましたが、何か分かりません。さらに、お堂も一つ・・

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ここで、気がついたのですが、右手、道路に面したところに、「地蔵堂」らしきものがあります。明日はそこから続けましょう。

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