2014/11/29: 続・日野市散歩;木瓜爺撮歩90-18 日野宮神社 (No.2154)

m90-18-01 F1850住宅の間を進んでゆくと、神社らしい場所が見えて来ました。日野宮神社の近くには、古代遺跡などもあるようです。古多摩川の河川敷だと思うのですが、昔から人が住んでいた場所なのですね。

神社の脇に、昔の「日野宮神社」付近の写真がありました。畑の真ん中にあったようですね。今は住宅に囲まれています。

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「新編武蔵風土記稿」からはじめましょうか。多分それが一番分かりやすいでしょう。

日ノ宮権現社 藥王寺領ノ内。小名四ツ谷ニアリ。社ハ一間四方ニテ。二間四方ノ上屋アリ。社地スベテ樹木シゲリテ最寂廖タルサマ古社トミユタリ。サレド勧請ノ年歴。祭神ヲ詳ニセズ。或ハ當所ハ日野宗頼ガ草創ノ地ナリ。コノ宗頼ハ當國七黨ノ内。西大夫日野宗忠ガ子孫ニシテ。
ソノ先ハ天中主尊ヨリイデ。姓ハ日奉ナリ。子孫當國ニ繁衍シ。宗頼ヲ追慕シテ日ノ宮トイハヒシナリ。當所ノ地名。コノ社ヨリ起リシモシルベカラザル事ハ已ニ前ニ辦セリ。】

江戸末期において、すでに「樹木の生い茂った最寂寥地」だったというのですから相当なものです。日野観光協会には申し訳けないのですが、薬王寺領にあっただけで、薬王寺が別當という割り切りは出来ませんね。むしろ、寺領内に残っていた古社だったのでしょう。 祭神不明としていますが、おそらくは「日奉氏」の祖先社的な存在か?

風土記稿によると、この近くに、姫宮があったと記されています。【姫宮権現廢社 日ノ宮ノ南二丁餘ヲ隔テヽ田圃ノ中ニアリ。昔ハ社モアリシガ。今ハ杉森ノ中ニ塚ノミアリテ。ソノ上ニ碑一基ヲ立。長三尺許。文字モアレド。苔多クコトニ損シタレバ讀ワクベカラズ。當社モ祭神ヲ詳ニセズ。或云。日宮ハ日野宗頼ノ靈ヲイハヒシ神ナリトイバ。コノ姫宮ハカノ宗頼ガ配匹ナラント。】

明治期を経て、祭神も決まります。「日野宮(ひのみや)神社は創建時期は不明ですが祭神としては天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)、高魂尊(たかみむすびのみこと)と共に日奉宗頼(ひまつり・むねより)及び日奉宗忠(ひまつり・むねただ)が祀られています。」となったようです。「天御中主尊」は、日奉氏が祖先とした神様・・・なんせこの神様は、天つ神の初代ですから、すべてのご先祖なのです。

その前に、遺跡の説明板を見付けました。

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「栄町遺跡」と名付けられた「古村跡」だそうです。昨日の薬王寺付近にも「四ッ谷遺跡」というのが見つかっていますが、どちらも、そう古いものではなく、14世紀頃のm90-18-04 F1855古村跡だったようです。14世紀の村が、地面の下にあったということは、やっぱり大洪水があったのでしょうねえ・・

鳥居をくぐって、社殿に向かいます。あれ? 幼稚園児でしょうか? 小学生でしょうか? なんかぞろぞろ社殿に入って行きましたよ?m90-18-05 F1857

 

 

狛犬が一対ありますね。提灯がぶら下がっています。まずは狛犬を写すか・・いや、その前に仏像の事が書かれた説明板がありましたね。ここには、3体の仏像があるのだそうです。「阿弥陀仏」が2体で、「虚空蔵菩薩」が一体。現物が写せなかったので、社殿の壁に貼ってあったポスターの写真を借用します。

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この右側の「虚空蔵菩薩」が、四ッ谷地域の風習と関係あるのです。「日野観光協会」の説明が分かりやすいかな? 【この神社がある四谷地区には「うなぎ」を食べてはいけないという習慣が伝えられています。その理由として、近くを流れる多摩川が洪水を起こしそうになった時、「うなぎ」が堤にできた穴を埋めて防いでくれたとか、薬師堂に安置してある勢至菩薩が「うなぎ」を召使いとしているからだとか、四谷の鎮守の日野宮のご本尊が虚空蔵菩薩(本地仏)で、その召使いが「うなぎ」であるからとか諸説があります。】

これらの仏像は、「四ッ谷阿弥陀堂」(阿弥陀堂が自治会館になっていたらしい)、というところに安置されていたのだそうですが、老朽化して取り壊すことになり、こちらに遷座されたのだそうです。「阿弥陀如来立像」が室町期、他の二つは江戸期のものと書かれていました。

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以上のようなことが、この見にくい説明板に書かれています。ここでは、鰻を食べない習慣は、虚空蔵菩薩の衣の襞が鰻に似ていることと結びついたのだろうと書いていますね。木瓜爺には、多摩川の鰻がそれほど多かったとも思えないので、「鰻は売り物になるから、自分たちで食べずに、江戸に持って行って金にしよう」という発想もあったような気がしてなりません。

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狛犬は、昭和ものでしょうか? わりあい新しそうです。

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社殿に進んで、拝みます。が、先ほど入っていった児童達が、中に坐っていて、神官か氏子か分かりませんが、一人のお爺さんの話を熱心に聞いています。拍手を打ったり、鈴をならしたりしてはいけない情景です。そーっと、後ずさりして、遠くの方から、音無の拍手を打って、参拝。

正面には、御鏡がある神棚があるようです。つまり、歴とした神殿です。仏像は、左の広間の奥のガラスケースにあるようです。

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子供達の半分くらいは、中央部の神棚の方に入っていったようです。入って行ってお願いすれば、見せて頂けるのでしょうが、子供達の勉強の邪魔をすることになるでしょうから・・・と、あわれと思われたのか、阿弥陀仏座像が、ちらりと覗かれました。しめた!

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「ありがとうございました。南無阿弥陀仏」

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境内の末社。左から、「秋葉神社」「阿夫利神社」「榛名神社」「御嶽神社」最後は「中野原稲荷」。お稲荷さん以外は、どれも大権現級ですね。ここが「日野宮権現」と呼ばれたにふさわしい境内社です。「中野原稲荷」というのは、入間市の神社ですねえ? どういう関連かは分かりません。そこは「伏見稲荷」系でした。

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境内の片隅に、庚申塔もありました。この一角、研究すると面白そうですが、お墓のようでもあるし、手を合わせただけで退散します。

小宮駅から日野駅までは、一通り見て来ました。あと、日野市では京王線沿線・百草園の方に食べ残し(?)がありそうです。 また改めて・・・

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