2014/12/22: 芝界隈;木瓜爺撮歩94-03 高輪神社と太子宮 (No.2176)

「高輪稲荷神社」から、京浜第一を30mちょっと品川方面に進むと「高輪神社」があります。この神社、不思議な事に例の江戸古地図には書かれていません。もしかすると、裏の方にある正覚寺の鎮守のような位置付けだったのかも知れません。

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入口には、厄払いや初宮の旗が並んでいました。この旗の足元に生えている、いや植えて有る草、「木賊(とくさ)」なのです。つまり、木製品などを磨くヤスリに使われる草です。そういう職業の方が居られた伝統なのかも知れません。

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鳥居をくぐり、石段を上がります。現代風の社殿ですが、狛犬は日焼けして(?)真っ黒です。「京浜第一」沿いですから、以前は排気ガスで包まれていたのでしょう。東京神社庁の頁では、次のように書かれています。『高輪一円の総鎮守で、祭神は、宇迦御魂神(うがのみたまのかみ)
誉田別命(ほだわけのみこと)
猿田彦神(さるたひこのかみ)』続いて・・

m94-03-04 F1668 高輪神社

『御創建は室町中期明応年中で、お稲荷様、八幡様、猿田彦様をお祀りし、境内社には聖徳太子様をお祀りして居ります。恒例の初詣、鎮火祭、節分祭、中祭、例祭、七五三詣の他、三年に一度神社大神輿の渡御が例祭日に近い日曜日に斉行されます。』

「猫のあしあと」という神社仏閣について書かれている方の紹介記事では、もう少し詳しくて、次のようになっていました。『高輪神社の創建年代は不詳ながら明応年間(1492-1501)の創建と伝えられ、高輪一円の総鎮守社であるといい、鵜来森(高輪三丁目付近)鎮座の八幡社を明治10年合祀、廃寺となった旭曜山常照寺の太子堂を当地で祀っているといいます。』「八幡様」と「太子堂」はあとで来られたということですね。「猫のあしあと」で引用されている「芝区誌」・・・今は港区ですが、昔は「芝区」がありました・・・が、歴史的記述は一番詳しいようです。

『高輪神社 高輪北町  祭神 宇迦御魂命、譽田別命。
創立年月は不詳であるが、社傳によれば明應年間とある。古来高輪原と稱した土地一体の惣鎮守であるが、弘化二年正月の大火に類焼、現存の社殿は明治十五年の改築。明治五年十一月五日村社に列し、十年鵜来森(現在の下高輪町)に鎮座してゐた俗稱鵜来森八幡(譽田別命)を合併し、昭和四年九月十三日舊名稲荷神社を高輪神社に改稱した。
當神社正面石門の彫刻は江戸時代の名工熊山及び紅葉川住石田屋知兩人の彫する所で有名である。境内には末社耳聴神社(舊太子堂)、猿田彦神社(舊庚申堂)がある。庚申堂の本尊は青面金剛の木像で、「江戸鹿子」には攝津四天王寺の僧民部卿僧都豪範の作と傳へてゐる。これは市電の停留場「庚申堂前」の名で高輪稲荷や太子堂よりもよく知られてゐる。太子堂は明暦年間松平越後守光長の臣川木八兵衛が事情あつて安置したものだと「江戸鹿子」に載せてある。聖徳太子像は木像で、太子が十六歳の時自ら作られたと同書にあるが、如何なものであらうか。太子様は職人の間に信仰が篤い。これらは依然(以前?)、旭曜山常照寺といふ寺の境内にあつたが、常照寺は何時しか廢寺となり、二像のみが残つてゐる始末である。
氏子區域 高輪北町、二本榎二丁目、同本町、同西町、高輪臺町の六箇町。(「芝區誌」より)』

これを元にすると、昭和4年までは八幡様が同居されていても「稲荷神社」と呼ばれていたということですね。そして、太子堂と猿田彦神社(庚申堂)が境内にあったようです。現在は、庚申堂らしいものは見あたりません。

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この狛犬、頭に角があるようですね。獅子ではなくて、本来の狛犬です。社殿の中は、御鏡を飾った「神棚」方式です。

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二礼二拍一礼でお詣りしました。この後に、「再礼、合掌」と続く方式があることを、最近知りました。多分、最後の所は、仏教の「合掌一礼」が取り入れられたものだろうと想像しています。つまり、神仏分離がうまく行かなかったという名残か?m94-03-09 F1677

木瓜爺のように、田舎の寺社を歩き回っていると、街中の寺社にある、こういう提灯に弱くて、つい写してしまいます。m94-03-10 F1678

境内にいろいろ有るので、目移りしますが・・まず、「太子堂」ですね。

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m94-03-14 F1682面白い! 「太子宅」という額になっていました。

中には、御神輿なども収められいるようです。

門塀にも興味有るものがついています。m94-03-16 F1686m94-03-15 F1685この彫刻が、区誌に書かれていた「江戸時代の名工熊山及び紅葉川住石田屋知兩人の彫する所」なのでしょう。

境内には、他にも・・・この辺は新しいものですが・・・

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太子堂の入口前には、「力石」と狛犬がありました。狛犬は、小型犬でした。

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小型ですが、結構獰猛な感じです。「阿」の左足がよく分かりませんね。足元には子供でしょうか?それとも獲物を抑えているのでしょうか?

高輪神社の横入口のような部分から左に出て、裏にある筈の「正覚寺」を探します。

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