2014/12/27: 続・国分寺市散歩;木瓜爺撮歩95-06 瑞雲山 妙法寺 (No.2181)

愛宕神社から、五日市街道を西に向かいます。この辺り、食べ物屋が多い場所です。国m95-06-01 F4220分寺高校の生徒達の食欲の為ではないでしょうが・・・「国分寺高校北」という交差点のセブンイレブンの前が「妙法寺」です。開いている入口は、五日市街道ではなく南北に通っている道の方です。五日市街道側には、閉じられた「山門」があります。開いた入口は正面に「鐘楼」が見えます。

m95-06-02 F4225妙法寺

山門側の写真も入れましょう。曹洞宗の寺院「瑞雲山 妙法寺」。

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m95-06-04 F4230一見、素朴な作りの山門で、「薬医門」という形式だそうです。「瑞雲山」の額がかかっています。こちらのお寺の縁起は、「新編武蔵風土記稿」の記述をもとにして、「妙法寺の創建年代は不詳ながら、小川村の里正彌四郎の祖先と吉野又兵衛とが開基となり創建したといいます。明治42(1909)年、 棚沢村(奥多摩町古里)の法正院を合併して、榎戸家の墓所、希運庵の場所に移転したといいます。」と伝えられています。「里正」の姓は昨日も出て来ましたね。

「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」によると、「瑞雲山妙法寺は曹洞宗円長寺末の寺院で、五日市街道の国分寺高校北交差点の北西角に位置します。五日市街道に面して薬医門形式の門を構え、敷地内には本堂、鐘楼と市指定重宝の「川崎・伊奈両代官謝思塔」が配されます。m95-06-05 F4227妙法寺はもともと小川村(現小平市小川一丁目)にあった寺院で、維新後、小川村の檀家がいなくなったため、明治42(1909)年、 棚沢村(現在の奥多摩町古里)の法正院と併せ、榎戸家の墓所、希運庵の場所に移転したものとされます。」と書かれており、元々は「小川村」にあったものを、明治42年にこちらに移転した、はっきりさせています。

では、よっこちょから入ります。右手の本堂には「妙法寺」の額があります。

本尊は「釈迦牟尼佛像」。曹洞宗の場合、開祖の道元が「釈迦如来こそ唯一の仏」と教えていますから、「観音菩薩」を例外として、大部分「本尊は釈迦如来」だと思って拝むことが出来ます。

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ただし、宗派が変わって、最近曹洞宗入りをしたと言うような場合は、阿弥陀如来が釈迦如来に化けていたりすることもあります。

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これが、見えていた「鐘楼」です。この横に、説明にあった、「川崎・伊奈両代官謝思塔」と、「萬霊塔」がありました。

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説明板には、「川崎平右衛門」のことしか書かれていないように見えますね。「伊奈半左衛門」は、川崎さんの後任の代官様。この方の名前は記憶にあります。同じ人か代替m95-06-10 F4240わりしているか?・・当時の武家の名前は「世襲」でした・・・「伊奈半十郎」という人が、安永7(1778)年に「第十二代関東郡代」を継いで「伊奈半左衛門」を襲名しているのです。この「伊奈半十郎」という名前は「有名人」でして、「玉川上水開削工事」の「現場指揮官」として出て来ます。「玉川上水惣奉行 松平伊豆守信綱」「玉川上水奉行 伊奈半十郎忠治」 これが、幕府の玉川上水開削の時の責任者です。「玉川兄弟」というのは、技術者という所でしょうか。

玉川上水が掘られたのが、承応2(1653)年頃からですから、謝恩塔の代官「伊奈半左衛門」、宝暦4(1754)年は100年後、4代くらい後でしょうか? そして、「第12代関東郡代」が1778年ということは、次の代か・・木瓜爺がこんがらかっているのは、「伊奈半左衛門」と「伊奈半十郎」という名前の関係です。後で紹介します「伊奈半十郎上水記」で、最初は「半左衛門」の子として「半十郎」がいるのですが、先に進むと「半十郎」の子供の名前が「半左衛門」になるのです。いわゆる「襲名」がどのようになるのか、その辺が分かりません。まあ、ややこしいけれど。面白い・・・「伊奈半十郎」に関しては、第26回歴史文学賞受賞作「伊奈半十郎上水記 著者:松浦節(たかし)」を参考にしています。この伊奈家は、家康について関東にやってきてから、180年ほど、利根川の治水などの重要な役割を果たし続けた家柄、府中の百姓出身の「川崎平右衛門」とはだいぶ格(?)が違うようです。

萬霊塔も面白い形式でした。m95-06-11 F4241裏側の三面に、2体づつの地蔵が刻まれています。m95-06-12 F4244

「六道地蔵」つきなのです。 もう一つ見付けました。「庚申塔」のようです。

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「青面金剛」のようです。(追記:不動明王ではないか? という意見もあるようです。不動様も場合、火焔を背負って居ることが殆どなので、木瓜爺は青面金剛の庚申塔だと思ったのです。)

お腹がぐうぐう言いだしました。弁当は持っているので、どこか座れる場所を探して、昼食にすることにします。国分寺高校の方に行く道を入ると、公園のようなものが有りました。

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