2014/12/30: 続・国分寺市散歩;木瓜爺撮歩95-09 戸倉神社 (No.2184)

神社の横から侵入したのですが、一応正面から入りなおしましょう。

m95-09-01 F4355 戸倉神社

二重に鳥居が立っています。すぐ右に社務所。

「戸倉」という地名は、五日市にもありますが、この戸倉神社は、五日市の戸倉にあった「山王宮」から分霊勧請したようです。

「新編武蔵風土記稿」によると、『(戸倉新田)山王社 除地五畝、街道より一町餘、南の方にあり、上屋二間に三間、内に小社を置、神體白幣なり、華表兩柱の間九尺餘南向なり、村内鎮守、例祭六月十五日、満福寺の持なり。稲荷社。本社の前にあり、小祠。』

となっていて、稲荷社も残っています。満福寺から入ると、この稲荷社に出て来ます。

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祭神の「八千矛神」は、「大国主命」の別名ということになっています。「大己貴命 おおなむちのみこと」「大物主神」とも言われますので、どれが本当の名前だかわかりません。 一方、「山王権現」は、本来は「大山祇神」なのですが、比叡山の「日枝神社」では「大己貴命 おおなむちのみこと」と一緒に祀っていました。五日市戸倉の「三島神社」は「大山祇命(おおやまつみのみこと)他四柱」なので、「山王様」が居られたと見て良いでしょう。どこで、「八千矛神」にすり替わったのか? 明治初頭、神仏分離の際の神官が少々いい加減だったのかも知れません。

五日市戸倉の「三嶋神社」は、Choi-Boke爺ちゃんのブログで歩いています。

http://kzmuraoka.wordpress.com/2012/05/28/

なお、三嶋市にある、「三嶋大社」は、『大山祇命[おおやまつみのみこと]、
積羽八重事代主神[つみはやえことしろぬしのかみ]、
御二柱の神を総じて三嶋大明神[みしまだいみょうじん]と称しています。』と言っています。明神から権現に変わると、中身も変わるのですねえ・・・

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鳥居をくぐると、正面奥に神殿、左の方に小さい鳥居が見えますね。あそこが、稲荷社です。国分寺市は「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」を頼りましょう。

『国分寺市のほぼ中央部に位置する戸倉は、江戸時代の中期、戸倉村(現あきる野市)出身の郷左衛門によって戸倉新田として開かれました。一般に江戸時代における武蔵野の新田開発は、開発願を提出後に開発地の割り渡しが幕府からあり村として成立しましたが、戸倉新田は郷左衛門が番場宿、本町(いずれも現府中市)より開発前の芝地を買い入れ、享保14(1729)年以後出百姓へ分譲したことに始まります。同年中に開発地を購入した者は9人あり、出身地は過半の5人が檜原村(現檜原村)の者でした。そして宝暦10(1760)年までに42軒の移住者があり、半数の21軒がやはり檜原村の出身者でした(『国分寺市史中巻』)。このように戸倉新田は檜原村出身者が多数を占めました。ところで新田村では出身者の親村の神社を分社することが多く見られますが、元文4(1739)年の検地では全体の22パーセントを名主郷左衛門が諸所有し、村内では名実共に郷左衛門が中心的な存在であったためでしょうか、同新田では檜原村ではなく郷左衛門の出である戸倉村の清水山王宮を、享保(1716~35)年間に山王大権現として分社しました(「神社明細帳」東京都公文書館所蔵)。なお、遷宮の年代を示す元史料は存在せず、今のところ元文元(1736)年の検地で、墓所・氏神社地1反5畝歩の存在が判明するのを確認できるに留まります。以後、戸倉新田では延享3(1746)年に檜原村から満福寺を神社の東隣地に引寺し別当となりました。維新後では明治2(1869)年に山王大権現を戸倉神社と改称して、明治8(1875)年、同社は村社とされました。
戸倉神社は南西から北東に広がる戸倉の地のほぼ中央に位置し、社地は南西から北東に通じる道筋の南東側に敷地を有し、社殿群は道路に直行するように北西に面しますが、以下では煩雑を避けるために、これを北面として説明して行きます。さて、道路に面し鳥居を2基構え、ここから参道が南側に伸び、西傍らに社務所、突き当たりに拝殿、本殿及び本殿覆殿等が北面して建ち、境内地南東隅には、末社稲荷神社が祀られます。』

この神社の狛犬は、青銅製らしく、黒光りして貫禄があります。

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「阿」が子獅子連れです。「ライオン」に近い形相をしていますね。

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社殿は、祈祷殿のように見えたので、横に回って見ました。

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やはり、赤い覆殿が後部にあります。中が覗けそうです。

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渡り廊下があって、その両脇にも狛犬がいます。これは石製のかなり古いものです。神殿が見えそうで見えない。反対側に回ってみます。

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見えました。彫刻の多い立派な神殿です。

では、「稲荷神社」の方に移動します。

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「正一位稲荷神社」の額がついていました。この「正一位稲荷」は「伏見稲荷」が用いる表現ですね。『稲荷の総本社、伏見稲荷大社は、建久5年(1195年)に後鳥羽天皇の行幸があった際、「本社勧請の神体には『正一位』の神階を書加えて授くべき」旨が勅許があり、勧請を受けた全国の稲荷神社も正一位を名乗るようになったのです。

地図を見ると、この近くに「妙乗寺別院」というのがあることになっています。それで、住宅街を歩き回ったのですが、発見出来ませんでした。明日は大晦日! あきらめて、内藤神社に向かいます。

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