2015/01/05: 芝界隈;木瓜爺撮歩94-08 増上寺の子院(1) (No.2190)

浜松町に戻ってきました。「讃岐・小白稲荷」から真西に向かいます。平行して「首都高」でしょうか「都心環状線」という高速道路が通っています。この辺りから、「増上寺」の子院という位置にあるお寺が、始まっています。「増上寺」の関連HPで見ると、30を超えているようです。これを全部回れば、ブログ種が一ヶ月分できる! とらぬ狸の皮算用をしている木瓜爺なのですが、読まされる方はたまったものではありませんね。

でもまあ、二日分くらいは「院めぐり」におつきあいください。面白い事も見つかるかも知れません。

m94-08-01 F4421

このみちは、芝大門の前を通って行く道です。これを進んで、「芝大神宮」に行ったばかりです。今日のコースは、横断したところで、少し逆方向に歩き、先ほど書いた「首m94-08-02 F4423都高」の下を「芝公園」の方に向いました。地図では「真乗院」とか「最勝院」とかの名前が見えるのですが、さっぱり分かりません。

最初に見付けたのは、「浄土宗 日新窟」というビルにあるお寺です。とても、入る気には成りません。このお寺、比較的新しいようで、インターネットでも住所と営業品目(?)くらいしか見つかりません。

ここは素通りします。少し先で、地図に「最勝院」のマークがみえる辺りに入って行きました。 このへんなんだけどなあ? 土塀的な感じが、なんとなく寺っぽい雰囲気なのですが・・ これが「最勝院」でしょうか?m94-08-03 F4425最勝院?

塀沿いに探索開始です。左の方に行ってみると、入口がありました。「寶松院」という表札がかかっていますが、入り込める雰囲気ではありません。

m94-08-04 F4426 寶松院

地図を確認すると、「最勝院」の北側にこの名前がありました。では、元に戻って、右の道に入って行きます。別の入口が見えました。

m94-08-05 F4427 多聞院

m94-08-06 F4429

今度は「多聞院」だそうです。さっぱり、「最勝院」にぶつかりません。

「最勝院」というのは、『最勝院は始めの名称を最勝院最勝軒と呼んだ。二代将軍秀忠公正室浅井氏崇源院殿の御別当寺院である。安国殿の束南部に位置し、安立院の西隣りであった境内浄域は九百七十余坪である。』という説明がHPにあるちゃんと存在するお寺なのですが・・ そのHPを見て、分かりました。コンクリート製のビルみたいな建物だったのです。右の写真が「最勝院」です。前を通り過ぎてしまったようです。

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ちょっと離れた所にお堂が見えています。先ほどの「寶松院」のお堂を裏から見ているのかも知れません。m94-08-08 F4431

あれあれ、「日新窟」の裏口?に来たようです。先ほどのビルの裏を通っているのですね。

方向まで分からなくなってきました。ビルに囲まれると、完全に方向感を失う木瓜爺、あわてて、腕の方位計を覗きました。

m94-08-09 F4432 真乗院

やっと「真乗院」につきました。中身は「駐車場」? いや、右奥の民家みたいなのが、「真乗院」のようです。『眞乘院は、六代将軍文昭院殿家宣公の御霊屋に奉仕する御別当職の寺院である。』と、説明されていました。将軍のお墓ともなると、一基で一院必要なのか・・・ 将軍って贅沢だなあ・・・

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大門交差点の所に戻って来ました。人が増えているのは、昼食の時間で、ビルに働く人m94-08-11 F4436達が、食堂や弁当を求めて出て来ているのです。木瓜爺は、コンビニでサンドイッチを買ってきたので、「芝大神宮」に行き、石に腰掛け、昼を済ませました。下の写真で、高い所に見えているのが、「芝大神宮」です。m94-08-12 F4477 芝大神宮

大門をくぐらず、右の方に進むと「芝パークホテル」に行きます。パークホテルの前にも「院」があったと思うのです。

m94-08-13 F4468芝パークホテル

「芝パークホテル」ビジネスホテルで、仕事で泊まったばかりでなく、早朝の飛行機や船に乗るとき、ここで前泊したこともある懐かしい場所です。

m94-08-14 F4469 パークホテル前 源正院

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「源宝院」でした。本堂は、こういう建物です。ここも浄土宗で、増上寺の子院でしたが、現在では、資本系列的(?)には、「単立寺院」なのです。「猫のあしあと」さんは調べてくださっていたはずです。『源寶院 芝公園第七號地五番 増上寺子院。天正の頃、増上寺第十二世存應の弟子一蓮社立譽上人如應秀白大和尚の創建に係る。慶長三年増上寺が復興した當時からの子院である。大正大震火災に本尊佛を残して全焼し、現堂宇は其後建築したものである。(「芝區誌」より)』 創建は天正年間なら(1573-1592)ですね。

m94-08-16 F4472こちらは、境内に石仏も残っています・・まだお元気でしょうか?

「いやーっ、どうも長らくご無沙汰致しておりました」この仏様、供養碑らしいのですが、少々変わっていまして、頭の上に「こびと?」が乗っているように見えます。最初、馬頭観音かと思ったのですが、馬ではありません。観音様の上にお釈迦様が居られるのかも知れません。

では、もう一度大門に戻って、増上寺に向いますが、あの道にも「子院」が並んでいるのです。

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