2015/01/07: 芝界隈;木瓜爺撮歩94-10 増上寺三門と熊野神社 (No.2192)

もう「七草粥」の朝になりました。「なずな、七草、唐土の鳥が・・・」文句を忘れてしまっていますが、祖母がうたいながら、まな板の音を立てていたのを思い出すなあ。これは小学校に入った頃の記憶でしょう。20年後に祖母が亡くなったのが83才。その歳まで、あと3年かあ・・・

浜松町に戻ります。増上寺の「三門」(ここは、山門ではなく、三門というようです)をくぐります。

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「三縁山 広渡院 増上寺」です。「浄土宗」の七大本山の一つと書かれています。

この七大本山をもつのは「鎮西派」と呼ばれる浄土宗の中の本家みたいな部分です。七大本山の上に「知恩院(華頂山知恩教院大谷寺)」という「総本山」があります。七大本山とは、「三縁山広度院増上寺(東京都)」「紫雲山金戒光明寺(京都市)」「百万遍知恩寺(京都市)」「清浄華院(京都市)」「井上山光明院善導寺(久留米市)」「天照山蓮華院光明寺(鎌倉市)」「善光寺(長野市)」。浄土宗には「西山派」という別派もあります。木瓜爺の家では母が亡くなるまで、この「西山派」の経文を読んでいました。

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「三門」の所には、石碑やら看板やらいろいろ並んでいました。行った日は平日だったので、将軍家墓所の見学は出来ませんでした。

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門をくぐると、増上寺本堂と「東京タワー」です。

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境内にいろいろなものが有るのですが、今日は北東隅、つまり鬼門にある、増上寺鎮守社の「熊野m94-10-07 F2303 熊野神社神社」から紹介することにします。

境内社ですが、細長いかなりの境内を持っています。「熊野神社」というのは、木瓜爺撮歩にものべつ登場しますが、この増上寺の熊野神社は、正統派といえる整った神社です。まず、「手水舎」の「八咫烏」から・・・m94-10-09 F2300手水舎

「八咫烏(やたがらす)」のいわれですか?

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ちょっと読みにくいですね。神々の使いである3本足のカラスなのです。神武天皇が迷子になりかけた時に、高皇産霊尊(説明板には天照大神と書かれています)によって使わされた道案内です。ですから、本来は神武天皇を祀る「橿原神宮」のシンボルなのですが、熊野大神(素戔嗚尊)の使い烏と習合してしまっているようです。サッカーの日本代表の胸に住んだこともあったようですね。「八咫烏」は「熊野神社の神紋」となっており、熊野神社の神紋説明にはこう書かれています。『八咫烏とは熊野の大神(素盞鳴尊)のお仕えです。 日本を統一した神武天皇を大和の橿原まで先導したという故事に習い、導きの神として篤い信仰があります。 日本の歴史に於ける八咫烏の出現はきわめて古く、『古事記』『日本書紀』『延喜式』を始め、 キトラ塚古墳の壁画や福岡県珍敷塚古墳横穴石室壁画、千葉県木更津市高部三〇号噴出土鏡、世界最古の油絵である玉虫厨子(法隆寺蔵) の台座にも見ることができます。』

ここの熊野神社そのものの説明板がありました。

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これによると、熊野三宮を集めた形の「三所権現宮」だったようです。熊野を「ゆや」と読むのですね、これは知りませんでした。

m94-10-11 F2298 熊野神社

こちらが、社殿です。こじんまりした建物です。 とりあえず、増上寺境内が無事に散策出来ますようお願いすることにした木瓜爺でした。

明日は、増上寺境内をぶらぶらします。

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