2015/01/10: 芝界隈;木瓜爺撮歩94-13 増上寺仁王門〔旧台徳院霊廟惣門〕  (No.2195)

増上寺にはいろいろなお堂が並んでいました。それらを横目で見ながら、安国殿にあった「東照宮」を探していました。

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これは、本堂の南方向にあるお堂。「増上寺会館」でしょう。会館と本殿の間に、「光摂殿」が挟まっていますが、写真では死角になって写りません。光摂殿(こうしょうでん)は、平成十二年(2000年)完成した「心を洗い、生きる力を育てる」ための講堂、道場だそうです。ただ、最近は「葬祭場」にも使われているようです。

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m94-13-02 F4531 慈雲閣「慈雲閣」の矢印に従って進みます。「慈雲閣」というのは「葬祭場」として使われるようです。高い所にあるので、老人の参列者は辛そうですね。

このあと、一旦「三門」に戻り、道路に出て「黒門」に行きました。

ちょっと、レイアウトが乱れますが、ゴメンナサイ。

黒門は「方丈門」だそうです。つまり、「庫裡」に入る門ですね。現在は、幼稚園の方に行く入口のようです。

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説明板も入れておきましょう。

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東照宮を求めて、南(?)の方に進みます。ちょっと木瓜爺の錯覚を書いておきますと、海のある方向を南だと思っていたのですが、ここでは、東だったのです。錯覚状態では西に歩いているつもりでした。と、仁王門を発見! 増上寺に仁王門があるなんて知らなかった!

m94-13-04 F2330 仁王門

確かに「金剛力士」がおります。壇の手前に説明板がありました。

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江戸時代には、増上寺の横に、2代将軍秀忠の霊廟が作られていたのです。「台徳院殿」は秀忠の戒名の一部ですね。太平洋戦争の末期、「東京大空襲」で、それがすべて焼けたのですね。その「惣門」の位置に、作られた門という事のようです。秀忠の墓そのものは、現在は「安国殿」後ろの「徳川家墓所」に墓塔が建てられています。

仁王様の方は、埼玉県川口の「西福寺」という寺から、1948年「浅草寺」に譲渡され、1958年にこの惣門に移されたと書かれています。仁王の前には、細かい金網がかかっています。

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関連して、廟にあった「勅額門」「丁字門」「御成門」などは、埼玉県所沢市に引っ越したということですが、木瓜爺は現住所未調査です。・・・「あ! ひょっとすると・・」思い出した事があります。所沢ではないのですが、「狭山不動尊」に、「御成門」と呼ばれる門がありました。しかも、額が「台徳院」となっていたのです。2010年に写しています。ちょっと探します・・・

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これです。もっと大きく入れたかったのですが・・・

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惣門の中は、公園化されているようです。階段を上がるのも面倒なので、階段の下を左の方に行って見ました。整地された広場が出来て居ます。

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奥の方に見える屋根が東照宮かなあ? 地図を見ると、あっちの方ではなさそうです。

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東京タワーがよく見えます。

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広場の中に立っていた道標。「古墳」かあ、行って見ようかなあ・・いや、東照宮発見が先だ・・・

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キョロキョロ見回しているうちに大きな銀杏が目に付きました。回りに石柵が廻らされています。あの辺だな! 左のもみじの所を回って行けば良さそうです。

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