2015/01/11: 芝界隈;木瓜爺撮歩94-14 芝・東照宮 (No.2196)

やっと「東照宮」を見付けました。

m94-14-01 F4548 芝東照宮m94-14-02 F4549

参道の両側が駐車場になっています。「芝東照宮」のホームページにある「由来」では、こう書かれていました。『当宮「芝東照宮(しばとうしょうぐう)」は、当初、増上寺内境内に勧請された。増上寺は天正十八年(一五九〇)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。
当時は日比谷にあったが、慶長三年(一五九八)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。この増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称された。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」によるものである。』

どうして、こういうややこしい書き方になるのかなあ? 増上寺境内に勧請された?それはおかしいだろう? 増上寺が日比谷にあった時に勧請されたのか、現在地に移転されてから勧請されたのか、そこの所も分からない・・・だいたい、東照宮は家康が死んでからの話ですからね。何か歴史を知らない方がHPを書いている気配がします。

別の角度から調べます。家康は、還暦に自分の像を作らせて(壽像というようです)、駿府城に祀らせています。今で言うなら「生前葬」みたいなことを行ったようです。そして「壽像」を、自分が死んだら、増上寺に祀れと言ったようです。それで出来たのが、「安国殿」を使った「東照宮」のようです。「安国殿院」は家康の戒名の一部でした。家康が死んだのは、元和2(1616)年ですから、もう増上寺は現在地に来ていたことになりますね。 何なんだ?この由緒書きは。

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社殿は、一段高い場所にあります。祭神は「家康公」です。なお、神社になったのは、明治の神仏分離令。さすがに、家康を天っ神へのすり替えは出来なかったようですね。

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遠くから見えていたこの銀杏の古木、幹周:6.45m,樹高25.5m 都天然記念物。樹齢は360年位ということで、三代将軍家光が植えたとなっていますが、家光の頃には、まだ安国殿が東照宮だったのですけど? どうして、こんな離れた所に植えなすったの? それとも、東照宮と一緒に引越してきた?

まあ、いろいろあらあな・・

書き終えてから気付いたのですが、上野寛永寺にも東照宮が造られていましたね。あれが、江戸城の鬼門守護で、増上寺東照宮が裏鬼門守護なのですね。日光東照宮は、もっと大きな意味の江戸幕府の鬼門の守りなのでしょう。

芝の撮歩、今回はここまでで切り上げることにします。東京タワーの方に、行って見たいお寺がありますので、日を改めて歩きましょう。

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