2015/01/17: 立川市散歩;木瓜爺撮歩93-12 (西砂)愛宕神社と殿ヶ谷綠道入口 (No.2202)

「阿豆佐味天神社」境内社の最後は「愛宕神社」です。ご覧のように、鳥居付きなのでm93-12-01 F1389 愛宕社すが、社殿部分は「石祠」です。でも、小型の灯籠などもおかれているし、ミニチュアという感じです。

愛宕神社といえば、「火防」を思い浮かべます。全国で約900社有るというのですが、ここのは数に入っていないでしょうね。

「3大愛宕神社」というのをご存じですか? No.1は言うまでもなく、900社の「総社」となっている「京都市右京区」にある旧名「阿多古神社」の「愛宕神社」。ここは創建が大宝年間(701~704)年、中興が781年頃で「愛宕大権現」と呼ばれました。

No.2が、「東京都港区」の「愛宕神社」こちらは、ずっと新しくて、慶長8(1603)年生まれ・・つまり江戸幕府開業の時作られたもので、有名な「愛宕山」(標高26m)山頂にあります。「曲垣平九郎」が、家光の命令で、馬に乗ったまま石段を上がって、梅の小枝を折ってきたというお話の舞台です。

m93-12-03 F1393

古い神社ということではなく、有名度でNo.2になっているのでしょう。No.3 の「福岡市」の「愛宕神社」・・・古さからいうと、景行天皇2年(72年)に創建された「鷲尾神社」が母体だと言いますから、相当なものです。しかし「愛宕神社」になったのは、江戸時代に黑田騒動というのがあり、それを鎮めるのに黑田の殿様が京都の愛宕神社から勧請したのだそうです。ですから、No.2より遅い時期になってしまい、No.3に甘んじているようです。

このベスト3が気に喰わない(?)という「愛宕神社」が「笠間市」に有ります。ここは「日本三大火防神社の一つ」というキャッチフレーズを用いています。「愛宕社」以外を含めてベストスリーに入っているぞ! と言うわけです。では、他の二つはどんな神社なのか・・・ネットで探したのですが、該当する記事は見つかりません。何とも不思議です。とはいえ、笠間愛宕神社というのは、創建が大同元(806)年と言いますから、京都につぐ古さです。

この三桁年代の古社は、天狗様転じて愛宕神社になったと考えられる神社です。つまり、山岳信仰との結びつきが強い神様です。

一口に「愛宕神社」といっても、祭神は様々です。後で合祀された神社の神様も加わっておられるでしょうから、一概に比較しても意味はないのかも知れませんが、参考までに並べて見ましょう。京都の愛宕神社(総社)は、「伊弉冉尊」「植山姫神(はにやまひめのみこと)」「天熊人命(あめのくまひとのみこと)」「稚産霊神(わくむすびのかみ)」「豊受姫神(とようけひめのみこと)」がメインで、「若宮」には「雷神(いかづちのかみ)」「迦遇槌命(かぐつちのみこと)」「破天神(はむしのかみ)」奧宮に「大国主命」と多士済々。

東京の「愛宕神社」は「火産霊命(ほむすびのみこと)」「岡象女命(みずはのめのみこと)」「大山祇命(おおやまつみのみこと)」「日本武尊」。

福岡は「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」「火産霊命」「天忍穂耳命(あめのおしほみのみこと)」。

笠間は「火之加具土命(ひのかぐつちのみこと)」「 伊耶那美大神(いざなみのおおかみ)」「 火結命(ほむすびのかみ)」「 水波女命(みずはめのみこと)」「 埴山比売命(はにやまひめのみこと)」

同じ神様で漢字が違う方もあります。火産霊命=火結命、岡象女命=水波女命、植山姫神=埴山比売命、迦遇槌命=火之加具土命、伊弉冉尊=伊耶那美大神。

有名店(?)を見比べて、これだけ違うのですから・・・わけがわからん! です。実は、江戸の「愛宕神社」は家康が信仰していた「勝軍地蔵」だったようです。先ほど書いた祭神は、明治になって決めたものでしょう。京都もきっと最初は「山岳信仰系」の仏像が居られたのではないでしょうか?

愛宕神社の実状暴露(?)を終わって、次は・・・神社の横にあった石碑です。

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羽村で取り入れ、江戸の町に水を送った「玉川上水」には、沿線各地の新田開発のための分水が作られています。だいたい、「玉川上水」そのものは、松平伊豆守が、自分の所領であった武蔵野に「野火止用水」を作ろうとしたが、費用が足りないので、「江戸に水を送る」という口実を作って、「公費を利用して野火止用水を実現した」という悪口が生まれた位のものです。公式には、「玉川上水を完成させた褒美として、野火止に用水を使用することを許された」ということになっていますが、玉川上水の経路を見ると、明らかに最初から接続する便宜を考えて設計しているそうです。こうした分水は、最も多かったときは33あったそうです。その後、整理統合したとのこと。この「殿ヶ谷分水」もその一つですが、作られたのは享保年間、吉宗の「享保の改革」による「新田作り」用でした。玉川上水の拝島駅近くに、「拝島用水」と「殿ヶ谷用水」の二つの取り入れ口が並んでいましたが、殿ヶ谷の方は廃止になりました。

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廃止された用水路は、「殿ヶ谷綠道」という散策道路になっています。あとで、この路を歩きますが、ここは入口部ですね。この入口に、石仏が居られます。

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これは、神社側ですが、「青面金剛」の「庚申塔」と、「馬頭観音」文字碑です。道の向こう側、綠道の脇にもありますが、少々傷みが激しいようです。

m93-12-08 F1404

では、先を急いで・・・「林泉寺」に行きましょう。林泉寺は、綠道には入らず、「西砂街道」をもう少し西に進んだ所にあります。

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