2015/01/27: あきる野市散歩;木瓜爺撮歩82-17 東岡山 珠陽院 《巳待供養塔》 (No.2212)

このお寺は、2013/10/13 に訪れて、ブログに書いております。

13- あきる野市瀬戸岡;木瓜爺撮歩69-9 東岡山珠陽院 (No.1741)

寺そのものについては、今更書くこともないのですが、見落としていた物もあるかも知れないと、ちょっと寄りました。今回は「小宮一神門」から西に、原小宮の新興住宅街を抜けて行きました。行く道を変えたので、頭の中に往き来したものは、だいぶ変わっています。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

このあたり、畑しかないような場所でしたから、昔の農家の庭にあったお稲荷さんなども健在のようです。所々に、こんな赤い鳥居が見えたりします。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

新しい住宅が並んだ所で、気が付きました。この頃の「一戸建て」は庭がないのです。家の前には2台乃至3台分の駐車場があるだけです。庭なしなら、一戸建てに住まなくても良いじゃん? 我家が羽村に引っ越したのは、子育て環境の改善も一つの理由でしたから、敷地が広めの建売を探し、庭に砂場を作って小さな滑り台を置いたり、走り回れるスペースを確保しました。もっとも、当時の私は会社人間でしたから、造庭担当は家内に任せていましたけど。家内が用足しから戻ったら、知らない子供達が大勢遊んでいてビックリした、などという話を良く聞きました。 そういう感覚は、もう現代にはないようですね。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

そんなことを思い浮かべながら、珠陽院の横に出て来ました。 木瓜爺最近、横断歩道を渡るとき、意識して歩くようにしています。ぼーっとしていると、赤信号なのに渡り始めたりしてしまうのです。つまり、目から「赤」の信号が入っているのに、足が止まらないことがあるのです。判断機能がワンテンポ遅れるらしい・・こういう老人の「衰え」に自分で気が付いていない老人が沢山います。注意して見ているとはらはらします。気が付いたら声をかけてあげる方が良いのですが、「分かってる!」などと逆ギレする老人が半分いますので、困ります。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

 

「東岡山 珠陽院」です。左に六地蔵堂がありますが、前述のブログに写真がありますので、今回は省略。墓地の中を通って行く参道です。両脇に、古い石仏などが並べてあります。ただ、「地蔵様」は、ご覧の通り、首を落とされた地蔵が多いのです。丸KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERAい石を頭代わりにされています。地蔵が破壊された時期というのは、二通り有るようです。一つは、明治の「神仏分離令」を悪用した「廃仏毀釈」。これは、江戸末期から太平洋戦争までの長い期間にわたってみられる「神様上位運動(?)」です。指導した神官も存在したとか。もってのほかですね。 そして、戦後になると、信仰の自由を誤解した人々による偶像破壊みたいなものが広がります。この辺KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERAになると、早い話が、イタズラ半分の破壊活動です。若干ですが、敗戦という現実に、神仏なんぞ不要なり!と考えた人々の行動も混じっていたと思います。あとは、暴走族というような集団のイタズラも結構ありましたね。              この「釈迦牟尼仏」は共同墓地です。KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

これは、「青面金剛」の「庚申塔」らしいですね。一番下に「三猿」の姿が見えます。

山門に近づKONICA MINOLTA DIGITAL CAMERAいてきました。

「水子地蔵尊」と書かれています。山門の写真がないなあ? 前のブログにはちゃんと入っていますが、・・・今回は、これで代用します。山門であることは間違いないのですが、内側から写したものです。KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

 

山門のすぐ内側に、他では余り見かけないものがあったのですが・・・これは、KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA昔の瓦ですね。山門に乗っていたものか? 本堂の方なのか? これではなくて・・・

下の写真の方です。「弁天様」なのですが、「巳待供養塔」というそうです。「一面八臂」の弁天が刻まれています。二つになっていたものを接着してあります。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

「巳待供養塔」がはっきり分かる形で保存されている場所は、数少ないと思います。木瓜爺の記憶では、この付近ではここだけではないかなあ?

「巳待講」というのは、次のように説明されていました。『月待の一つであり古くから講中が作られていた。蚕を飼っている人が秋季、巳の日の晩に集り掛軸を拝み、直会をした。巳の日は福神である弁財天の縁日であり、弁財天信仰の盛んな地域は、近くの弁財天に参詣する。弁財天は仏教の天部の神が、もと音楽の神のち財宝を与える福神として崇められたもので、中世になって急速に信仰を深め、とりわけ真言宗寺院や修験が伝播、布教に関与した。十二真支の巳は蛇に対する信仰と関与し、弁財天との習合に際しては巳=蛇は弁財天の使わしめだと考えられていた。一方、巳は脱皮、変成の思想があり、巳の日には特別な厄払いの信仰があった。また、養蚕の盛んな土地では蚕を食べる鼠避けとして蛇神は養蚕農家の守護神であった。』

青梅や八王子で絹織物を扱っていましたから、このあたりでも「養蚕」農家があったのでしょう。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

鐘楼を眺め、本堂にお詣りします。「臨済宗建長寺派 東岡山 珠陽院 」あきる野市の寺院一覧では、次のように説明されています。『応永8(1401)年桃英洞和尚が開山。本尊は阿弥陀如来立像。慶安2(1649)年幕府から御朱印10石を賜った。明治には平井学校瀬戸岡分教場として使用されていた。』 木瓜爺は前のブログで、「本尊は「阿弥陀如来」だそうですから、前の「金谷山福泉寺」と同じように、かっては「阿弥陀如来」信仰の宗派に属していたのかも知れません。」と、書いています。ただ、禅宗でも「黄檗宗」などは「阿弥陀如来」を取り入れていますので、そちらの影響かもしれません。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

本堂の左の方にある建物で、法事の支度をしているようでした。こちらが葬祭式場なのでしょう。朝念暮念の観音様にも手を合わせ、尾崎観音に連絡して頂いて(?)、そちらに向かいます。

広告
カテゴリー: 寺社, 散歩 パーマリンク

2015/01/27: あきる野市散歩;木瓜爺撮歩82-17 東岡山 珠陽院 《巳待供養塔》 (No.2212) への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 2015/09/12: 奥多摩散歩;木瓜爺撮歩92-12 留浦の石仏 (No.2439) | 木瓜爺ブログ

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中