2015/01/29: あきる野市散歩;木瓜爺撮歩82-19 ぼけ封じ 関東33観音・第9番 光雲山 宝蔵寺 〔尾崎観音〕 (No.2214)

観音霊場というと、西国三十三観音、板東三十三観音、秩父三十四観音、この三つを回って「百観音供養」というのが、昔から行われている「観音信仰」の形式でした。しかしこれが出来るのは、経済的にも恵まれ、時間もあるという一握りの方々です。この中でも板東は広範囲の霊場が分布していますので、なかなか回りきれません。それで、「狭山33観音霊場」というような、狭い範囲のローカル版も各地に生まれました。「信濃33観音」は県版ですね。

日本人の寿命はだいぶ延びましたが、「痴呆性老人」も日増しに増加、これではいかんと、「ぼけ封じ」祈願が増えて行きます。最初は、「延命地蔵」のサイドビジネス?だったのですが、「ぼけ封じ薬師如来」が賑わい、ついに「ぼけ封じ観音」も現れて来ました。その「ぼけ封じ観音」が手を結んで「ぼけ封じ関東33観音霊場」が出来たのです。千葉県に8観音,埼玉県に10、群馬県に2,栃木県に8,茨城県に3。東京は2観音しか有りません。その一つが、この「尾崎観音にある」のです。ちょっと妙な書き方をしていますが、実態を見て頂くと意味が分かると思います。

なお、ぼけ封じ33観音は、「近畿」「中国」「四国」にも存在しています。あちらの方が早かったかも知れません。

m82-19-01 F4669 尾崎観音

「光雲山 宝蔵寺」の「観音堂」に収まっておられるのは、「如意輪観世音」です。ここは曹洞宗のお寺です。

m82-19-06 F4623

「秋川十八番札所」「玉川二十四番札所」と書かれています。秋川の方は「秋川三十四所」というのが有りました。廃寺や合祀で、現存するのは、木瓜爺の計算では25程になっていると思います。「玉川」の方は、「玉川三十三観音霊場」のようですが、どのお寺が属しているのか、調査中。ネット上では、二十四番崎観音以外が不明。なお、「多摩川三十三観音霊場」というのはありますが、ここには入っていません。地域的のはもっと下流の話です。だいたいここは、秋川で多摩川じゃない! 次にお詣りしたら、宝蔵寺で聞いてみよう・・・

m82-19-02 F4666

m82-19-03 F4665参道を進んでいます。ここは途中の駐車場部分です。左に見えるお堂のようなものは、木瓜爺が弁当を食べる場所でしょう。参道の突き当たりが観音堂、右手前が鐘楼です。鐘楼の手前に手水舎があり龍君が口を開けています。右の外れの方に、トイレが作られています。トイレの前は広場です。
弁当を食べながら観音堂の方を見るとこう見えます。

m82-19-04 F4626

テーブルの上の黄色いのは木瓜爺が背負っていたザックです。目立ってしまってゴメンナサイ。

m82-19-05 F4628

 

m82-19-07 F4618

あきる野市寺院一覧では、「尾崎観音」は簡単に紹介されています。『宝蔵寺境内にある観音堂で、宝蔵寺7世鼎堂官周和尚の代に建立された。本尊には如意輪観世音菩薩が祀られており、「尾崎の観音様」として親しまれ、お堂の前には安産を願う絵馬がたくさん奉納されている。』m82-19-08 F4622

Choi-Boke爺ちゃんのブログは、2月17日:木瓜爺撮歩31-2 尾崎観音(光雲山宝蔵寺観音堂 です。 2012/02/17 に書いています。

この時から、「ぼけ封じ観音」は立っておられたのですが、Choi-Boke爺ちゃんは、まだあまり関心がなかったかも知れません。観音堂の如意輪観世音とは別の観音様です。

m82-19-09 F4621観音堂の如意輪観音は、冒頭の説明板を見ましょう。「如意輪観世音菩薩縁起 開帳仏如意輪観世音菩薩は、右大臣源頼朝公別腹の三男 豊後守忠久郷の御母君丹後の局のご守護本尊仏なり。公より局に遣わされし如意輪観世音の尊像は 弘法大師が一刀三礼にして彫み給える二臂の木像で 御丈一寸八分の座像 尊像の御厨子は鉄刀樹の丸木彫 黄金八寸(?)の金具 銀の吹蓮華に座し給う秘仏なり」読み違えがあるかも知れません。最初の九行だけでくたびれてしまいました。

あの、金ピカの御厨子の中におられるのでしょう。しかし、一寸八分とは、浅草の観音様と同じですね。つまり、守り本尊としての携帯用仏像はその程度の大きさだったのでしょう。センチでいうと約5センチ。

「御前立 如意輪観世音菩薩は、六臂の座像 御丈一尺 この尊像は三井寺開山智証大師の御作なり。」 とありましたから、一寸八分の前に、一尺の如意輪観音が居られるのですね。なお、二臂とか六臂とかいうのは腕の本数ですよ。如意輪観音にはいろいろ有るのです。なお「三井寺」というのは天台宗の総本山です。正式山名は「長等山園城寺(おんじょうじ)」。つまり、この宝蔵寺は昔は天台宗だったという証明みたいなものです。

観音堂の写真は、引用のChoi-Boke爺ちゃんのブログの方が沢山有るかも知れません。ただあのときはお堂の中は見られなかった筈。お寺ですから、「六地蔵」なども居られます。ちょっとご挨拶して行きます。

m82-19-10 F4614

m82-19-11 F4616

「六地蔵」の説明も作られていました。こちらは、傷んでしまった地蔵様方です。

m82-19-12 F4611

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

m82-19-14 F4632m82-19-14 F4632

 

 

 

 

 

 

観音堂を取り巻くように「変化観音」や「その他の菩薩像」が並んでいます。その間に、今日の主人公「ぼけ封じ観音」が居られるのです。

m82-19-15 尾崎観音 F4637 ぼけ封じ

観音様の裾にすがっているのは、爺婆です。 「ぼけ封じ観音」のすべてが、このようになっているかどうかは分かりませんが、ここでは、別仕立ての「ぼけ封じ専門観音様」が居られました。「正観音」の変化の一つでしょう。 ぶつぶつ言っていないで、とにかく「南無観世音菩薩」です。「オンアロリキヤーソワカ」で良いのかなあ? 観音様は真言がいろいろあるので、さっぱり覚えられません。

m82-19-16 F4639

再び変化観音ですが、後ろに建物が見えますね。あれが「宝蔵寺本堂」です。

m82-19-17 F4644

こちらは多分「お釈迦様」が居られるのでしょう。あきる野市寺院一覧では、『宝光寺7世、寛永元(1624)年示寂の泰翁慶初大和尚の開山とされているが、開山以前にも多くの僧があることから、初めは天台宗で泰翁慶初大和尚のとき、曹洞宗に改宗したと考えられている。御朱印寺領5石。』 と、説明されていました。

こちらにもお詣りして、今回のあきる野散歩は終了することにしましょう。「おやすみなさい」・・・ここは、木瓜爺珍百山 候補に入れておこう・・・

m82-19-18 F4649

広告
カテゴリー: 寺社, 散歩, 木瓜爺珍百名山 パーマリンク

2015/01/29: あきる野市散歩;木瓜爺撮歩82-19 ぼけ封じ 関東33観音・第9番 光雲山 宝蔵寺 〔尾崎観音〕 (No.2214) への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 2015/10/31: 木瓜爺 珍百山-16 ; 光雲山 宝蔵寺 〔尾崎観音〕 (No.2488) | 木瓜爺ブログ

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中