2015/02/13: 青梅街道狭山付近;木瓜爺撮歩98-07 殿ヶ谷 須賀神社 (No.2229)

愚痴から始まります。最近やはり頭脳の回転が遅くなったようで、ブログを入力する時間が2倍かかるようになってきました。オマケに時間がかかると、疲れて一休み・・となるので、一そう時間がかかり、半日を要することもしばしばです。写真の選択やサイズ変更の手間も含めると、一日一件、つまり、ブログを書くだけで一日終わるという変なことになってしまいます。・・・ブログを書くために生きている? なさけない木瓜爺であります。

さて、殿ヶ谷m98-07-02 F5342須賀神社の参道を発見して、木瓜爺出発しm98-07-01 F5341ます。

 

 

 

 

参道といっても、里山道ですね。しばらく行くと左上に上がる石段がありました。

m98-07-03 F5344 殿ヶ谷須賀神社

鳥居が変わっていますよ。木製、屋根付きです。 階段を上がる間に、ちょっと補足しましょう。この瑞穂町には、「瑞穂天王祭(瑞穂町夏祭り)」というお祭りがあります。例年7月15日前後の土日になっているそうですが、このお祭りは、瑞穂町の3つの「素戔嗚尊」を祀る三つの神社の合同で行われています。この三社というのが、「箱根ヶ崎の八雲神社」「石畑の須賀神社」「殿ヶ谷の須賀神社」なのです。大変賑やかなお祭りのようで、ブログやYouTubeに登場しています。

箱根ヶ崎の八雲神社については、Choi-Boke爺ちゃんのブログ、7月2日:木瓜爺撮歩41-11 八雲神社と冨士浅間神社

で、訪れています。そのときは、この八雲神社が、「瑞穂天王祭」の主人公であるとは気が付きませんでした。もうおわかりだと思いますが、「天王祭」という名前は「牛頭天王」から来ています。「牛頭天王(ごずてんのう)」というのは、仏教における天部の一つ。インドのインドラ神の化身のゴーマヤグリーヴァデーヴァラージャが仏教に取り入れられ、釈迦の生誕地に因む「祇園精舎の守護神」とされたものです。つまり、この段階では、素戔嗚尊は無関係です。ところが、祇園信仰(ぎおんしんこう)というのが起こります。これは、「牛頭天王」と「素戔嗚尊」を神仏習合させ、「疫病(対策)神」として、信仰の対象にした京都の「祇園社」(現在の名前は八坂神社)から、「牛頭天王宮」が全国的に広がってゆきました。そして、明治の神仏分離以降は、スサノオを祭神とする神道の信仰となりました。 この時、「八坂神社」と「八雲神社」の二つの名前が出来ていています。「須賀神社」の名前については後述します。

m98-07-04 F5346

階段を上り詰めて、社殿に到着しました。素朴な形です。説明は、「多摩の神社準備室」にお願いしましょうか・・・『殿ヶ谷須賀神社 鎮座地 殿ヶ谷1043
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと) 火産霊命(ほむすびのみこと) 久恵比古命
旧格式 無格社  例大祭 6月14日 15日
解説 詳細不明。古地図では「きのえね様」となっている。』

新編武蔵風土記稿には入っていない神社です。 瑞穂町の町史では『伝承を失す。一般にはキノエネサマと称す。狭山丘陵文脈の尾根の平地に在り眺望絶佳、附近山腹には地下壙式古墳が散在する。大正元年に村内愛宕神社と天神社を合祀し祭神が三柱となった。』とのことで、「火産霊命(ほむすびのみこと) 久恵比古命」は、愛宕神社から来られたようですね。

「キノエサマ」を調べて見ましょうか。「甲子(きのえね)様」でしょうね。隣の入間市に「甲子様」というのが有ります。大黑様のお祭りのようですよ。『大黒天は、古代インドでは、破壊と豊穣の神とされていたが、 後に豊穣の面だけが残り、食物・財福をつかさどる神となった。 日本に於いては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、 神道の神、大国主命と混交して信仰されるようになり、また、大黒天が甲子の日に祀られるのは、日本神話において大国主命が、 スサオノの計略で焼き殺されそうになった所を鼠に助けられた、という説話から、 鼠を大黒天の使いとして考え、子と鼠を結びつけて、縁日を甲子の日とした為です。 』

想像ですが、この須賀神社も「甲子の日」に講や縁日が開かれたことがあるのでしょう。もしかすると・・・お詣りして、ちょっと社殿を覗かせて頂きます。

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横から見た社殿、後部に神殿を納めてある形ですね。二礼二拍一礼・・・

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ああ、やっぱり! 木瓜爺のカンがあたったようです。正面が格子戸を隔てて神殿。カンがあたったというのは、ここではないのです。左側の厨子です。これ、「大黑様」若しくは「大国主命」じゃないのか? 厨子の前に白い紙がおかれています。これが、レンズでは見えないのですが、木瓜爺の目には「大国主命」と書かれているように見えたのです・・・心眼で読んでしまった! おそらく、大黑様の木像などがあって、それが「キノエネサマ」の名称を使われた理由でしょう。そうだ、昨日紹介した「りんおじい」のブログをみてみよう。

やはり、そういう事が書かれています。これによると、『殿ヶ谷では昔から、「甲子の日」に須賀神社に集る「甲子講」があって、大黒神を拝んでいた。近年はその日がウィークディの場合は日曜日に代えて、甲子講を行っているという。大黒神即ち大国主命は須賀神社の祭神ではないが、大国神の像か絵が社殿の中に安置されていると思われる。(りんおじいのぶらり旅 狭山丘陵寺社めぐり39 須賀神社 より抜粋)』

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境内社のように見えますが、これは「庚申塔」なのだそうです。前述のブログに紹介されていました。木瓜爺には珍しい形でした。というか今まで、こういう形の庚申塔があるなどと思わなかったのですね。

さて、「須賀神社」の名前ですね。これは、島根県雲南市大東町須賀260にある「須我神社」の系統だろうと思います。「須我神社」というのは、「日本で最初に出来た神社」・・「須我神社」のホームページの文言をお見せします。『出雲神話のひとつとして有名な「八岐大蛇伝説」。須佐之男命は大蛇を退治した後、稲田姫と結ばれ初めて宮作りをしました。 これが「日本初之宮」とされている須我神社です。須佐之男命、稲田姫の夫婦とその御子神が主祭神として祀られており、夫婦円満、児授かり、出産の守護と除災、招福の守護が授かると言われています。』さらに、この宮を包むようにして美しい雲が立ち上がるのを見て、命が「八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」と歌を詠んだことから、大東町須賀の地は「和歌発祥の地」とも言われている。のだそうで、「八雲神社」の「八雲」はこの和歌がもとになっています。

「須賀神社」は、「須我神社」のある場所の地名に使われている「須賀」の字を、素戔嗚尊を祀る神社の名称にしたのでしょう。「牛頭天王」の祇園社とは別系統だよという意思表示?・・つまり、最初から「スサノオ」が祭神でしたという意味合いかな?

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さて、次に進む事にします。いよいよ、殿ヶ谷の「阿豆佐味天神社」です。 石段を下ります。下り終わって左に進んで見ます。迷わず行けるかな?

m98-07-09 F5353

落ち葉を踏んで、坂を下っています。出たのは、住宅が並んだ場所でした。

m98-07-10 F5354

振り返って写したものです。左の道を出て来ました。これが、正規の参道には見えませんが、御輿倉庫脇の道は御輿を大勢で担いで通れるように見えないから、こちらが表なのかなあ? 多分、住宅が造られた時に、そうとう変わってしまったのでしょうね。

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