2015/02/14: 青梅街道狭山付近;木瓜爺撮歩98-08 阿豆佐味天神社 (No.2230)

木瓜爺が瑞穂町殿ヶ谷の「阿豆佐味天神社」のことを初めて知ったのは(?)、taji1325ブログでした。そのブログは、下記です。

12月21日  延喜式内 阿豆佐味天神社

先日、砂川と西砂の「阿豆佐味天神社」を歩いたので、やっぱり大元も自分の目で見て来よう・・なのです。taji1325さんは、武蔵村山の「里山民家」駐車場に車を置いて歩きはじめ、箱根ヶ崎の「北小山 円福寺」の方まで歩かれたのだったか・・・m98-08-01 F5355阿豆佐味天神社駐車場m98-08-02 F5356

 

 

 

 

 

「阿豆佐味天神社」の駐車場が出来ていました。木瓜爺が歩いたのは1/28でしたが、2/3に節分の行事があるので、こういう場所も整備されていたのかも知れません。

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神社の前に到着しました。こちらは「阿豆佐味天神社総本宮」というのだそうです。青梅街道から直接はいる入口は、ずっと南にありますので、帰る時に通りましょう。

「新編武蔵風土記稿」に、『(殿ヶ谷村)阿豆佐美天神社
村の中ほど狭山の麓にあり、神主宮崎和泉と云、本社二間四方、拝殿二間に五間、祭神は少彦名命にて、神體はなく画像を掛く、御朱印十二石を附せらる、抑當社は式内の社當郷八座その一にして、往古より此所に鎮座すと云、されど舊記の徴とすべきこともみえず、又正しく土人の口碑にのこりたることもあらざれば、そのたしかなることをしらず、近村奈良橋村など、阿豆佐美の里と稱す、當所に近き所なればかく唱ふと云、又享保年中の棟札あり、其文の中に文明十四年村山土佐守、同雅楽助及一族等土木の費を供して、社檀を再修せしこと見ゆ、文明中の再修なれば、古社なることしるべし、此文外にとるべき説もなければ、その全文を略すぬ、村山氏のこと村の條下及び福正寺、又箱根ヶ崎等所々にいたしたれば合せ見るべきなり。』

と、書かれた神社。「式内社」つまり「延喜式内」に書かれている古社です。「多摩の神社 準備室」のほうでは、こう書かれています。

『阿豆佐味天神社 鎮座地 殿ヶ谷1008
祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと) 素盞嗚命(すさのおのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
旧格式 郷社
例大祭 3月4日
解説
「延喜式・神名帳」に記載のある古社。寛平4年(894)従五位下の神位を受ける。
平安初期、高望王の創建という伝説があり、以来子孫の武士団村山党によって信仰された。当社のすぐ西には戦国末期の武将、村山土佐守義光の館跡がある。
同時期、北条氏照より神領15貫文を賜っていた。江戸時代には徳川家より朱印地12石を賜る。神職は代々宮崎氏が勤め、立川市「阿豆佐味天神社」小平市「神明宮」・「熊野宮」の社家へ分かれた。宮崎氏については、所有の古文書が公開されていないので何時頃から当社とかかわりがあったのか定かではないが、桓武平氏を称している事から村山氏の一族と考えられる。江戸時代初期には既に当社の神職を務め、能登守・修理進などを名乗っていた。』

神社の名前ですが、「阿豆佐味天神社」を使っているか「阿豆佐美天神社」を使っているか興味があったのですが、石柱には前者が彫られていました。

鳥居をくぐったところから、やたらに石碑が並びます。最初のは、「石橋巳待供養」石橋供養と弁天様の「巳待講」が結びついたようです。

m98-08-04 F5361m98-08-05 F5362常夜燈再建碑

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真ん中の写真は「常夜燈再建紀念碑」で、右がその「常夜燈」。

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社殿は一段高いところにありますが、その手前にまた石碑群です。

m98-08-08 F5366 社殿改修などの寄付金碑

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ふーん・・社殿などの改築にかかわる寄付金の記録碑ですねえ。沢山あります。階段の脇のこの石灯籠も奉納品ですが、ちゃんと脇に石碑を建てています。普通は石灯籠自体に彫ってしまうのでしょうが、別に作るのが、この神社流なのでしょう。

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冒頭のブログの写真と見比べると、この5年間に随分改修されたようです。いまにも倒れそうだった社殿も、しっかり立ち直ったようです。狛犬君も元気になったのかな?

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お正月の名残とおぼしき、おみくじが沢山結びつけられています。普通は、悪い卦がでると、こうして結びつけ、良い卦の場合は持ち帰るのですが、ここは悪い卦が多いのかなあ?

m98-08-13 F5375 阿豆佐味天神社

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1/28には、社殿は扉が閉まっていました。欄間の彫刻は龍ですね。 実は、2/3の節分の日にもう一度足を運んでいますので、そのときの写真を挿入しましょう。

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扉は開いて居ましたので、直接お詣りできました。ただ、氏子さん達が、大勢豆まきの準備をしておられ、神殿を写すと豆をぶつけられそうなので、ちょっと横にずれて写しています。

愉快な境内の様子は下記の写真です。

m98-08-16-DSC_3873

 

 

 

 

 

 

豆をぶつけられる役の赤鬼、青鬼も待機中でした。 社殿側から、こちらに向かって豆を撒くと言っていましたから、鬼を担いでくる役もあるのでしょう。

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祈祷殿の後ろの神殿です。ここも整備されたようですね。

この神社の境内社については、「猫のあしあと」に詳しく書かれていました。「奥宮、神明宮、八幡社、熊野社、雷神社、正一位稲荷神社、厳島社、須賀神社」 分かるかどうか、明日のブログに続きます。

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