2015/02/16: 青梅街道狭山付近;木瓜爺撮歩98-10 岸・須賀神社遙拝所 (No.2232)

殿ヶ谷から東にすすむと、「里山民家入口」というバス停があるのですが・・「武蔵村山市」に入りました。この辺の市名、木瓜爺は混乱してしまいます。「武蔵村山」「東村山」「武蔵大和」「東大和」・・・

m98-10-01 F5403 武蔵村山

バス停があるようです。

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「里山民家入口」バス停が見えて来ました。m98-10-03 F5407バス停の前あたりで左に入ります。この辺の地名は、武蔵村山市「岸」らしいです。お地蔵様が退屈そうに日向ぼっこ・・

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この庚申塔が神社の目印です。ここだここだと、左に入ります。

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またまた、「須賀神社」です。、「猫のあしあと」によると、『須賀神社は、当地より丘上に寛政2年(1790)創建、昭和49年に、岸一七八鎮座須賀神社・岸三七一鎮座熊野神社を合祀、昭和49年に、岸三三五鎮座愛宕神社・岸八六三鎮座神明社・岸六七鎮座熊野神社を合祀したといいます』。「新編武蔵風土記稿」には、『(岸村)愛宕社 除地、村の西にあり、僅なる祠なり  牛頭天王社 北方の山上にあり、これも僅なる祠なり』と簡単に書かれているようです。

この「牛頭天王社」が、須賀神社に変わったのでしょう。・・・これによると、木瓜爺の推定は覆されてしまって、「牛頭天王社」も「須賀神社」を名乗ったようですね。この辺ちょっと納得が行かないのですが・・・というのは、羽村では箱根ヶ崎あたりに世話をして頂いて、祇園社から勧請した神社は「八雲神社」を名乗っています。箱根ヶ崎も「八雲神社」になっています。なぜ、石畑以東が「須賀神社」と名乗るのか?今までの話から推定すると、神主さんあたりの考え方の影響でしょうか?

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社殿は、一段高いところにあります。この社殿について、「多摩の神社 準備室」は、次のように説明をしています。これが、よく分かります。

『須賀神社  鎮座地 岸2-24
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)    軻遇突智命(かぐづちのみこと)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)豫母津事解之男神(よもつことわけのおのかみ)
旧格式 無格社   別当寺 三光院
例大祭 7月15日
解説
寛政2年(1790)創建。 江戸時代は修験道の影響下にあり、牛頭天王社・岸の天王様といわれた。 明治の神仏分離で須賀神社に改められた。
岸村の鎮守であるが、村人の多くは隣接する殿ヶ谷村の古社、阿豆佐味天神社の氏子でもある。江戸時代に別当を勤めた修験道の三光院は、阿豆佐味天神社の社家、宮崎氏の出であったため、還俗して旧姓に復し神職となった。疫病除けに霊験あらたかで、
境内の杉の葉などを持ち帰り門口に吊るしておくと伝染病にかからないという。(中略)
・・・写真は拝殿で、北側の山中に奥宮があり祭神はそこに鎮座している。』

この最後の所なのです。 見えているのは「拝殿」で、神殿は「奥宮」なのだ。

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神社の説明板でも、「創建不明、古老の口伝では、寛永10年創立、そのころ村内悪疫鎮護のため、共有地に祀った」とありますね。それが「2km隔たった丘山なので、寛政2年に遙拝所を設けた」・・・成る程なあ。

神社の名前は、「三光院」という修験道から神職に変わった方が、何らかの理由で「須賀神社」にしてしまったのか?・・・この「神仏分離」の時期に、神官への転職者が、神道的に見ると誤判断だと思われる決定をしてしまった事例は、各地にあるようです。

ゴメンナサイ。何を言っているか説明しておきましょう。「須賀神社というのは、最初から素戔嗚尊を祀った神社」なのです。「八坂神社」や「八雲神社」は、「牛頭天王と習合した素戔嗚尊を祀った神社」ですから、純血か混血か(?)という違いがあるのです。

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狛犬は子連れ獅子型。新しいものでしょう。

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遙拝所であるならば、奥宮に行くべきですねえ・・・山の上はしんどいけど・・・

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ここは、奉納の記録が札で並んでいました。では、奥宮の手前にある、「里山民家」へ向かいます。向こうに見える屋根がそうかな?駐車場がありました。

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地図がおかれています。

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この地図で見ると、「里山民家」の隣に駐車場があって、その先端から山に入ってゆく道があるようです。山の上にトイレもあるようですが、神社から行けるのかなあ?

m98-10-14-DSC_3884えーと、まず民家に寄って行くか・・・「里山民家」というのは、都営の施設らしい。つまり、都立の「野山北・六道山公園」の一部なのです。都民税でまかなわれているわけだ・・・

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この荒れ地みちなのも、公園ですね。

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民家のところは、生垣で囲まれています。 明日はこの続きから・・

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