2015/02/21: 青梅街道狭山付近;木瓜爺撮歩98-15 三ツ木の赤稲荷 (No.2237)

箱根ヶ崎からてくてく歩いて来た木瓜爺ですが、少々疲れました。帰りのバス停は、都バスだと「三ツ木薬師前」、立川バスだと「薬師前」、別のバス停になっています。そのちょっと東に「赤稲荷」とよばれる稲荷社がありました。 m98-15-01-DSC_3998 この稲荷神社、写真の左側が「青梅街道」なのですが、右側が「旧青梅街道」のようです。「赤稲荷」の棒杭にある武蔵村山市の説明によると、『赤稲荷は、嘉永二年(一八四九)稲荷総本宮より勧請し、再三移転され現在の場所に祀られました。稲荷は、古代大陸から渡来してきた豪族秦氏の守り神といわれていますが、もともと農耕の神で「稲玉」から「稲荷」・「いなり」に転化したといわれています。』と、なっていました。 個人のお宅の稲荷だったのかも知れません。「多摩の神社 準備室」では、こう記しています。『赤稲荷神社  鎮座地 三ツ木3-23 祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 解説; 嘉永2年(1849)創建。もと個人持ちの屋敷神で青梅街道の拡張により現在地に遷った。』 m98-15-02-DSC_3999 この神社で不思議な供え物を見ました。2/3の節分の日だったことを意識してご覧下さい。こういうお弁当(?)が沢山供えてあるのです。 m98-15-04-DSC_4005 「めざし」と「赤飯」の組み合わせです。節分の鬼を払う方法の一つに、「柊鰯(ひいらぎいわし)」というのがありますね。「柊鰯(ひいらぎいわし)は、節分に魔除けとして使われる、柊の小枝と焼いた鰯の頭、あるいはそれを門口に挿したもの。西日本では、やいかがし(焼嗅)、やっかがし、やいくさし、やきさし、ともいう。」。木瓜爺は9才まで、大阪にいました。この風習は知っていますが、何と呼んでいたかは覚えていません。節分には「いわし」を食べたように思います。昔の事ですから、当然鮮度を問題にしない「めざし」を使っていました。 所変わればなんとやらで、この付近ではこういう形で、鬼を払うことをお願いするのでしょうか。一人や二人ではないので、この地域の習わしなのでしょう。 m98-15-03-DSC_4002 m98-15-07-DSC_4009 鳥居の「額」は「正一位稲荷神社」。伏見稲荷の系統です。 m98-15-06-DSC_4008   灯籠などもおかれていました。m98-15-09-DSC_4011 今日はここまでで、帰ります。どちらのバスも「箱根ヶ崎」を通るようなので、来た方にのります。 この続きはいつになるか? みつけられなかった「熊野神社」「神明社」「慈眼寺観音堂」「長圓寺」まだまだ沢山残っていますね。 明日のブログからは、方向転換・・子供の時に遊んだ小金井市の貫井方面に行く予定です。

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