2015/02/22: 国分寺から小金井へ;木瓜爺撮歩95-12 平安神社 (No.2238)

国分寺市の神社は、まだ残っているようだと、続国分寺撮歩で書いていますが、今日はその一つを訪ねました。そのあと、子供の頃遊びに行った「貫井のプール」がどうなったのか見て来ようと、2/12に歩いたのです。

m95-12-01 F5598三石堂国分寺駅南口の商店街は、昔とすっかり変わっていますが、その中で「三石堂」という書店と「多摩薬局」という薬屋さんだけが、頑張っています。どちらも、昔は2階建ての店でしたが、現在は4階建てに変わっていました。「三石堂」に入って、国分寺市で発行している文化財の資料を購入。店主としばし立ち話。以前は親父さんがこの南口店、息子さんが「北口店」を受け持って板のだそうですが、親父さんが亡くなられて、息子さんの代になり、こちらに一本化されたようです。昔の国分寺市の写真集が発行されていました。懐かしい風景が記録されていて、ちょっと欲しかったのですが、この日は(いつもかなあ?)余分な持ち合わせがなかったので、見送りました。

m95-12-02 F5600そう言えば、給料をせっせと運んだカメラ屋はどうなった? 三鷹に「いすずカメラ」というのがあって、サラリーマンになった頃、そこにだいぶつぎ込んだのですが、暫くして国分寺にも支店が出来、こちらを利用することが多くなったのでした。行って見ると、45というプリント屋のチェーンに変わっていました。このチェーンもフィルムカメラが廃れたので、様変わりしているのでしょうね。

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「殿ヶ谷戸庭園」の横の方に、小公園が出来ています。結構つぐみ等が遊んで居るようでした。国分寺の鳥というと、昔の我が家には「オナガドリ」がよくやって来て、騒いでいましたが、今日はどこかで逢えるかな?

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この坂道は・・お医者さんがあったのだ・・子供が小さかったとき世話になった医院でしたが、名前が変わっていました。場所は同じように思えましたが、自信はありません。約50年前の話ですから・・

もう少し先から坂を下った方が良さそうだと、昔の名前で「本村(ほんむら)」の方に下って行きます。

国分寺の家を引き払うとき世話にm95-12-05 F5606なった不動産屋の前に下ります。店は残っているようですが、あまり活気は無い感じ。再開発が終わってしまった所為でしょうか?それとも、別の場所で活動しているのか・・

ここまで下ると、「野川」の縁です。日立中研の池や国分寺崖線の湧水を集めて、結構水量があったのですが、現在は、だいぶ減っているようです。

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こんな水路になってしまって、昔の風情は全くありません。それでも、野川の左岸には、遊歩道がずっと続いて居るはずですが、今回は「平安神社」に行くので、野川の右岸の方を、少し離れて歩くことになります。あ

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ビルの間に、小さな墓地がありました。昔、畠の脇にあった墓地の名残かも知れません。

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反対の野川側に畠が残っていました。国分寺崖線の上部には高い建物が見えています。「東経大」かな? 木瓜爺が遊びに行った頃は、「大倉経済専門学校」だったか? 現在は「東京経済大学」です。『1900(明治33)年、明治・大正期の実業界の雄である大倉喜八郎により、当時の赤坂葵町(現在の東京・虎ノ門「ホテルオークラ」隣接地)に創立された大倉商業学校を前身としています。以来、大倉高等商業学校(大倉高商)、大倉経済専門学校を経て、戦後、東京経済大学へと発展。』 東経大のHPに書かれていた文章です。

地図を見ながら、何回か曲がって、神社の前に出ました。

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「平安神社」という名前から、「平安神宮」と関係があるのかと想像していたのですが、全く関係有りません。勝手につけた名前のようです。

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鳥居の外に狛犬がいました。明治100年紀念の奉納です。昭和43年(1968)ですね。

m95-12-12 F5620平安神社

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社殿を見上げると、そこに由緒書きがありました。ただ、縄などが張ってあって、写真に撮しにくい!

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あらすじを拾い読みします。祭神「菊理媛神」? それじゃ「白山神社ではないか!」

「菊理媛神は別名「白山媛」といわれ、石川県の白山山頂に祀られている女神。この神社の分霊を迎えて祀られた」。つまり、昔の名前は「白山社」だったわけです。ここで、買ってきた資料が早速役立ちます。『平安神社は東元町一丁目、元町通りから150メートル程北側に進んだ場所に位置します。社殿は市道に東面し、敷地東南に面して開き、鳥居、狛犬等を配します。敷地北東が公園、北西に社務所が建ち、参道の突き当たりに拝殿を始めとする社殿が鎮座します。祭神は菊理媛命。
当社は従来、嘉永2(1849)年の創建とされていましたが、今回の調査で嘉永元(1848)年における社殿の造営は再建であることが棟札の記載から明らかになったため、これ以前に創建が溯ることが明らかとなりました。かつて本社は白山宮、白山神社と呼称していましたが、昭和21(1946)年に至り現称の平安神社へと改称したことも今回の調査で明らかとなりました。なお、言伝えによると当社は一時期、本村の八幡神社へ合祀され、後に分祀されたとします(『国分寺市の神社・寺院』)。社殿は三間社の本殿と、拝殿 と本殿覆殿が一体となった橦木形の半面を持つ拝殿からなります。』(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)

これは、明解。「平安神社」となったのは、昭和21年、戦後ですね。敗戦の直後ですから、おそらく平和で安泰な生活を願って名付けたのでしょう。

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今日最初の神社ですから、まず道中安全をお願いしておきます。それと、記述されている「本村の八幡様」ってどこだったかなあ? そういえば、国分寺「薬師堂」の西に八幡様があった、あれが「本村八幡神社」でしょう。まだ国分寺市の神社は残っていそうですね。また機会をみて行って見ましょう。

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急に国分寺跡など思い出したのは、境内に置かれたこの大石のせいです。手洗い用に使われた石でしょうか?上部に溝が彫られているようです。

さあて、野川の方に戻って、貫井に行きましょう。随分変わっているだろうな・・でも、あまり明確な記憶も残っていないのです。何か思い出せるかな?

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