2015/02/27: 武蔵小金井散歩; 木瓜爺撮歩95-17 八幡山 千手院 (No.2243)

貫井の弁天様の南には「野川」が流れています。武蔵国分寺付近の湧水や日立中研の池からの水を集めて流れる川なのですが、昔に比べると水量は半分以下になっているように感じます。橋を渡ります。「弁天橋」です。m95-17-02 F5762m95-17-01 F5761

 

 

 

 

 

これは、上流側の風景。いずれ、暖かくなったら、野川を下る撮歩をしてみましょうか・・・遊歩道が出来ているので、それを歩く分には、少々よろめいていても大丈夫でしょう。

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弁天橋を渡って、真っ直ぐ南に進んだのですが、途中で左に入ると「閻魔堂」があったようです。手元の地図には出ていなかったのを、うっかりしました。小金井市の観光案内で見た事を地図に書き込んでておくのだった。・・・言い訳になりますが、見た、覚えた、と思っているのですが、肝心な時に思い出さないのです。それだけ耄碌してきているのです。

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歩いているのは、昔は畑か雑木林だった所でしょうが、現在は殆ど住宅です。その中に所々、小公園にされている空き地があります。貫井南センターという所で左折を予定していますが・・・

m95-17-05 5768地図

自治会で作った避難場所を示す地図がありました。さきほどの小公園は「けやき広場」というようです。たしかに真ん中にけやきの木があった・・・「千手院」が書かれていますが、「光明第二保育園」と一緒に書かれています。不安です、これは入れないかも知れません。まてよ、「光明**」に覚えがあります。えーと、何か福祉関係の団体の施設に「光明**」があった・・「社会福祉多摩養育園」という団体・・この時全部思い出したわけではありません。2013/04/12 Choi-Boke爺ちゃんのブログで、「天海山雲龍寺」というお寺を訪ねています。何でもありの面白いお寺だったのです。12- 木瓜爺撮歩56-4 天海山雲龍寺 (No.1557)

このお寺の霊園が「光明霊園」でした。足利正明老師が戦後、焼け跡の八王子に再建されたお寺、それが発端で、先ほどの福祉団体が出来、あちこちに「光明**保育園」を作られていました。

足を止めていた木瓜爺、以上の所々を思い出して、また歩きはじめます。

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「貫井南センター」です。貫井南の公民館らしいです。ここで左折、先ほどの地図だと、その先3本目の道を右折ですね。眺めるものもなく、3本目を入って、変なことに気が付きました。写真は、光線の関係で振り返って撮っていますが、道路の巾が場所によって変わるのです。

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右側、変な所にガードが立っているでしょう。あの先は道巾が狭いのです。こう言うのが何カ所もあります。察するところ、早く家を建てた所は道巾が狭く、区画整理が進んでからの所は、道巾が広いのでしょう。

そんなことを考えながら、「千手院」到着です。「曹洞宗」のお寺です。

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m95-17-09 F5776保育園

隣に保育園があります。間に立っている掲示版、お寺スタイルですが、中には保育園の掲示がはられていました。

m95-17-10 F5780 千手院

塀越しに本堂を撮影。m95-17-11 F5779軒下に釣り鐘が見えます。女性の念仏講が寄進したという鐘はこれかな?2013年末までは、除夜の鐘を撞いていたようですが、2014年12月に「除夜の鐘は止める」とホームページに掲載されました。多分、後から出来た住宅からの苦情でしょう。世の中間違っているのじゃないかと思うのは、周囲環境をよく調べないで家を建て、環境に文句をいうこと。単に自分の調査不足の所為じゃないのか・・・小金井市民の特性かな? 小金井市は、自分の所(市として)でゴミ処理(焼却など)をしないくせに、環境問題では口うるさいところがあります。・・・なんて言うと、木瓜爺は小金井市に出入り禁止の処分になるかな? でも、近隣市町村としては、なんとも不思議な市に見えます。

「八幡山千手院」はホームページがあります。面白いと思ったのは、曹洞宗の歴史などに多くの頁面を使っています。このあたりは、雲龍寺の流れを感じます。雲龍寺の場合は曹洞宗の系図を石碑にしていました。

肝心の「千手院」自体の由緒も、本尊も何も書いて有りません。HPの「寺院概要」という所に「曹洞宗の歴史」だけを書いている神経については、全く理解出来ません。

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仕方がないので、小金井観光協会の方を調べました。

『  【千手院 : 歴史】
八幡山千手院は曹洞集永平寺派で、木造の千手観音を本尊とする。府中高安寺の末寺として、慶安2年(1649年)、高安寺七世天室伝理が開いたと言われる。延宝年間(1673~1681年)に山田玄如により中興された。
寺宝に天保13年(1842年)、貫井村の女念仏講中が寄進した銅鐘等がある。
天保年間(1830~1843年)、住職となった泰嶺和尚(桃雲禅範)は寺子屋曲眼堂を開き、近隣の師弟を教えた。
和尚は安政元年(1854年)、46歳で没したが、その遺徳を偲び、小金井村、本田新田、貫井村の筆子達が筆子塚を建立した。 』

と、書かれています。寺としては、府中の「高安寺」末 なのですね。2011年10月の取材記事でしたが、その頃は隣の保育園は改装工事中で、寺の境内の方には、地蔵菩薩と「足利八幡神社」が写っています。現在はどちらも見あたりませんが、裏にあったのかな? 筆子塚も見えませんね。「筆子塚」というのは、師匠が亡くなったときに、師匠を偲んで弟子達が建てる供養塔のようなものです。

案内を乞えば、中を見せて頂くことは出来るでしょうが、お布施の持ち合わせもないし、今日はこのまま退散します。

直ぐ南を「東八道路」(東京と八王子を結ぶ幹線道路)が通っていますが、遠回りになるようなので、来た道を引き返しました。そして、右折。「貫井南町-」という交差点で、小金井と府中を結ぶ街道を渡ります。そこから北上して、地図で見つけた前原町三丁目の「公明院」というのを目指します。 交差点に出て来ました。見えているのは府中方面に行く道です。横断してから、府中とは反対の方向に進みます。

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