2015/02/28: 小金井市散歩;木瓜爺撮歩95-18 上宮大澤神社と藤原稲荷 (No.2244)

今日で2月も終わりです。木瓜爺ブログ、早くも許容容量の49%になっています。2013/9/1からですから、一年半ほどです。残り18ヶ月の命・・・人間は何とかもつかな? ブログの方は写真を減らせば、寿命が延びます。 さて、「新小金井街道」と名付けられ道路を北に向かっています。 m95-18-00 F5806 m95-18-01 F5788 上宮大澤神社   と、こんな標識を見つけました。「上宮大澤神社」と書かれています。地図には書かれていないのですが、入って見ます。 突き当たりには駐車場? いや、ここが神社の様m95-18-02 F5789 藤原稲荷です。左の方に、赤い鳥居があり、右奥に石の鳥居が見えました。赤い鳥居は、境内社のようです。というのは、この駐車場入口みたいな所に、獅子型狛犬が一対、門番をしています。住所は「貫井南町2-338」と書かれていました。「上宮」というのは、昔の小字でしょうか?調べて行くと、「多摩の神社準備室」の「上宮大澤神社」の解説の中に「崖下の下宮弁天社に対して上宮という」と書かれていました。するってーえと、この近くに崖があるのかね? よく分かりません。 m95-18-03 F5790 m95-18-04 F5791   m95-18-05 F5792 パノラマ写真の右隅のほうに、「大澤神社」が写っています。見かけは小さな神社です。まず、稲荷社を写します。「藤原稲荷」の「藤原」は多分個人名でしょう。というのは、ネット上の神社DBに見あたりません。 m95-18-06 F5794 m95-18-07 F5795 「大澤神社の説明板」があるよ・・・お稲荷さんが教えてくれました。 m95-18-08 F5804 祭神の詳しい説明のようです。「大澤」は個人名のようですが、「大沢の池」の傍ということから「大澤」と名乗ったのか? 先ほどの準備室を引用します。『上宮大澤神社  鎮座地 貫井南町1-24   祭神 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 解説 当地の大澤氏によって祀られた神社。大澤氏の先祖、藤原外記壽治は、天慶年間(938~947)平将門の乱鎮圧のため征東大将軍藤原忠文の祐筆として従軍。下野国関宿より、真満・茂原を経て当地に土着したと説明版にある。 崖下の下宮弁天社に対し上宮(かみみや)と言う。』 m95-18-09 F5797先ほどの「藤原稲荷」の「藤原」も、どうやら、大澤氏の先祖の「藤原」らしいですね。「大澤神社」の祭神は、「天児屋根命」以外は「先祖」の方々のようです。「平高望」の名前がありますね。あとで関連を思い出すものが出て来ます。 準備室の記事で、住所が私の現地メモと少し違っています。地図上では貫井南町(二)の場所なので、準備室の誤記もしくは地番変更があったのか・・掲示版では「2-338」ですね。    鳥居は小型ですが、くぐると屋根付きの境内です。意外に広く見えます。 m95-18-10 F5798 m95-18-12 F5799m95-18-11 F5801社殿の前に進んで、参拝。中にはもう一つ神殿がおかれた形式でした。 「アメノコヤネノミコト」は、天照大御神を岩屋から招き出すために太玉命とともに卜占を行い、祝詞を奏上し、鏡を差し出した神様。専門は「せんたく」・・洗濯ではなくて、「宣託」だっけ? そして「春日大明神」でしたね。 堂内に大きな絵が掛かっていました。これが、「馬」なのです。 m95-18-13 F5803 平高望の子孫、「平将門」の馬を思い出しませんか? 知らなかった神社にお詣り出来たことを感謝して、「新小金井街道」に戻ります。二つ目の信号を右折かな? いや、1,5の所で右に入るようです。そうすると、流れる方向を南に変えた野川を渡るようです。崖下というのは、野川の事だったのか・・ブログを書きながら調べて、場所の見当がつきました。下宮弁天は、大沢の池も涸れ、社殿も老朽化したので、最近再建されたようです。又の機会に寄って見ます。

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