2015/03/08: 小金井市散歩;木瓜爺撮歩95-26 三縁山 瑞蓮院と神田山 幡随院 新知恩寺 (No.2252)

小金井市の市役所付近に戻ってきました。

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ここを渡って行きます。市役所を過ぎたところに、「三縁山 瑞蓮院」という浄土宗のお寺があるのですが、詳しい情報は持っていません。現地で何か分かるかどうか?

m95-26-02 F5962 市役所

m95-26-03 F5963 瑞蓮院この先を左に入るのだったか・・ 門柱が立っていました。向かって右が「浄土宗」、左が「瑞蓮院」と彫ってあります。入って行きます。

本堂の横につきました。駐車している車があります。こんな便利な場所ですから、無住ということはないでしょう。「猫のあしあと」でも、この寺に関しては『三縁山瑞蓮院 浄土宗
小金井市前原町3-36-17』と記さm95-26-04 F5966れているだけです。「八百万の神」というサイトでは「本尊 阿弥陀如来」と記されていました。浄土宗ですから、いわば当たり前の話。ここは台地の上部なのですが、この写真でいうと、右側の河岸段丘の崖部があります。その斜面に「幡随院」があるのです。幡随院も浄土宗系のお寺ですから、あるいは幡随院が引っ越して来た時に、一緒にこちらに移ったお寺なのかもしれません。

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「額」には「瑞蓮院」だけですね。この「瑞蓮院」は「浄土宗」なのですが、「幡随院」の方は、現在は「浄土宗系単立」となっています。現在、「幡随院」の方は、立入が出来ません。そのことは、またあとで・・

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鬼瓦が屋根から睨んでいますので、「十念」をあげて、解散します。

で、「幡随院」なのですが、「神田山 幡随院 新知恩寺」という名称です。「幡随院」といえば、「幡随院長兵衛」という侠客の名前を思い出します。

この長兵衛さんは、江戸時代前期の町人。町奴の頭領で、日本の侠客の元祖ともいわれています。『極付幡随長兵衛』など歌舞伎や講談の題材などで有名。九州の伊万里の方の武士の家で生まれ、父親と一緒に江戸に来たようです。本名は塚本 伊太郎。旗本奴(旗本でありながらヤクザな生活をしていた集団)に対抗する町奴を組織し、その頭になって、血戦を繰り広げてしまい、最後は、旗本水野の家に招かれ、湯殿で殺されるのいう一生・・・木瓜爺には、歌舞伎のお話と実話の区別は付いていません。

幡随院の裏に住んでいたので、「幡随院長兵衛」になったのだったが、「幡随院」の住職さんに助けられて「幡随院」がついたのだったか、その辺も記憶混乱。お暇な方は調べてください。

小金井市の市史によると、『幡随院 (所在地)前原町3-37-1。 浄土宗京都知恩院の末寺。はじめ、神田山新知恩寺と称した。智誉幡随意白道を開山とする。慶長15年(1610)神田駿河台に建立。のち元和2年(1616)湯島天神男坂下板倉備中守邸内に移り、さらに明暦3年(1657)正月の振袖火事で焼け、浅草神吉町に、その後に昭和14年(1939)現在地に移転した。本尊阿弥陀如来を安置する。広大な寺域に散在する諸堂宇と手入れの行き届いた庭園は美しいたたずまいを見せている。』

関東十八壇林の一つという浄土宗の僧侶養成機関でもあり、沢山の末寺があった時代もあったようですが、単立になってからは、経営難におちいり、そういう機能は果たさなくなったようです。ウイキペディアではこんな事が書かれていました。『北側の丘の上に奈良の唐招提寺をイメージして建てられた阿弥陀堂・開山堂、その麓に方丈等を備えるが墓地は有しない。また、かつての学寮の伝統を継ぐ白道寮を設置して檀林学徒を育成したが現在は経済事由で中断している』 墓地がないとすると、経営難云々も納得します。現在は、仏教を教える大学が沢山有りますから、「壇林学徒」も集まらないでしょう。

もしかすると、「幡随院」にあった「阿弥陀堂」というのが、分離して「瑞蓮院」になったのかも知れませんねえ。位置的には、そういう風に感じる位置なのです。

現在は、門はすべて閉じられているというので、せめて「門」だけ見て回ろうかと思います。市役所の手前の道の坂を下って行きます。最初の門らしい。「阿弥陀堂」のあたりへの近道なのかも知れません。

m95-26-08 F6114 幡随院裏門

さらに下って行きますと、「北門」があります。看板を拡大します。

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m95-26-10 F6116 北門

「幡随院」は新編武蔵風土記稿ではなく、「御府内寺社備考」の方に詳しく記述されているようですが、場所が異なるので、引用はしないことにします。m95-26-11 F6117

扉の隙間から見える景色。生垣の中に建物がありますね。「居住区」に近い門でしょうか? 更に南に進むと「南門」です。

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寺のコーナーの所に、小金井市散歩の地図が一つ付いていました。

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「六地蔵」「黄金井の水」「西之台遺跡」・・・全然見ていないじゃないか・・他にもありますね・・これは小金井散歩はまだまだやれそうだ・・・

角を曲がって、西へ・・・やっと、正門(山門)に着いたようです。

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門扉が低いので、上から中を見ます。大きな庭園で、真っ直ぐ行くと寺院の中央に行くようです。

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今日はここまでにして、野川の方に出て、貫井神社の「ひょうたん池」にでも寄って帰ろう・・・

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これは野川の左岸。遊歩道を進むと「弁天橋」に行けます。ということで、今回は終了ということにします。

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