2015/03/14: 国分寺市散歩;木瓜爺撮歩95-27 丸山(円山)神社 (No.2258)

先日、貫井弁天を再訪したとき、帰り道で「東経大」の近くでこんな地図を見かけたのです。

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国分寺駅南口に戻る途中に「円山(まるやま)神社」という表示があります。通っている道沿いにあるように見えますので、注意して歩いていったのですが、全然わかりません。このあたり、左側には店が並んでいて、その後ろは山になっているので、神社も高い場所にあるだろうとおもったのですが、それらしい物は目に入らず、そのうちに通り過ぎて、別の地図になってしまいました。

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この2枚の地図、南北が反対になっています。最初の地図は北が上になっていますが、後の地図は、上が南です。「円山神社」が有ることは確からしい。

日を改めて、再探訪です。「まる山」という地名は記憶に残っています。「円山」だったか「丸山」だったかは、記憶の中でははっきりしませんが、友人の家が山の上にありました。中学時代の同級生ですが、高校は別の高校になってしまいました。彼は工業高校を選んだのです。中学生の頃から、将棋の好敵手でした。高校生時代、そして木瓜爺が大学生になり、彼が勤め始めても、時々訪れて、対局していました。彼の親父さんがまた、将棋が好きだったのです。私が訪れた時、彼がまだ戻っていないと、親父さんが相手をしてくれます。好きなのですが、棋力の方はからっきしで、駒落将棋です。2枚落ち(飛角落)からはじめて、一番手直り・・下手が負けるとハンデを増やします・・とうとう「両金」(上手の方は、歩は全部並んでいますが、後は王様と両側

の金将2枚だけ・・まで行ってしまいましたが、流石にこれでは負けてしまいました。すると「今日は勝った!」と大喜びして下さるのです。それまでの負けはすべてなし・・楽しい親父さんでした。 交通事故で亡くなられて・・・

脱線しましたが、その友人の家に上がって行った道に「円山神社」があるのかも知れません。 明日から書くつもりの「国分寺公園」に出かけた日、帰りに寄ってみました。

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これは、丸山ではなくて、中央線線路の方ですが、何か大規模工事が行われています。

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交差点の直ぐ横、今タクシーが出てきた坂が、その道です。なにか見えますか? 道路を横断して、入って行きます。

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m94-15-07 F6586あれだ! 左上に赤い鳥居が見えました。お稲荷さん的ですが、祭神はどなたでしょうね?

石段を上がると、小さな社が見えました。

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短い注連縄なども付けてあって、本格的小社。扉が、少し開いています。御神体が見えそうです。でも、暗い。手ぶれ承知で、何枚かトライしました。

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「石碑」です。「山神」と彫られています。「山神」なら「大山祇神」でしょうね。「再建」という碑が付いていますから、この石碑自体は最近作ったものでしょう。

「多摩の神社準備室」ではどうなっているのかな? 『丸山神社 鎮座地 南町2-1 祭神 不明(大山祇命?)
解説
江戸時代は山神社といい宝暦5年(1755)創建という。
明治になって丸山神社と改名。
第二次大戦末期、社地が陸軍高射砲陣地建設予定地に指定されたため現在地に遷った。』

結構、古からの神社なのですね。当初はもっと山の上の方にあったのでしょう。高射砲陣地建設予定地というのが、どのあたりだったのか、木瓜爺は知りませんが、作るとしたら、この丸山の一番高い場所でしょう。多分、私の通った友人の家は、この高射砲陣地予定地に、戦後建てられた住宅街にあったのでしょう。

「丸山神社」という名前は、各地にありますが、祭神は一定していません。つまり、各地に「丸山」と呼ばれる山があり、そこに作られた神社が「丸山神社」になっているようです。

「ミニコミ国分寺 17号」という記事を見つけました。「ゆらい」として、こんな事が書かれています。『南町二丁目にある丸山は、現在では住宅地であるが、戦前は雑木林などになっており、人の住まない場所であった。その頂上付近に丸山神社が祀られていた。江戸時代には山神社と呼ばれ、明治時代になって丸山神社と改称された。宝暦十一年(一七六一年)の「武蔵国多摩郡仲右衛門新田検地帳」によると縦三十一間横ニ間の山神社地が年貢免除地となっていた。明治十三年(一八八〇年)の丸山神社明神社并勧請年度取調上申書」には「丸山神社創立宝暦五年正月十七日勧請宝暦五年正月十七日とあり、宝暦五年(一七七五年)に祀り始めたとある。その後宅地化がすすむ中で神社は丸山の中をニ、三回移され、その頃に周辺の家が火事になったり、住人が病気になったりする不幸なことが続き、神社を粗末にしたからだと云われ、現在地の南町二丁目一番一号に祀り直し、木の祠の中に「山神」と刻まれた自然石を納めた。』

御神体の正体まで判明しましたので、今日はここでお終いにします。明日は、西国分寺駅の方からはじまります。

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