2015/03/16: 国分寺市散歩;木瓜爺撮歩95-29 本村 八幡神社 (No.2260)

武蔵国分寺公園の円形広場は、多分、木瓜爺達が中学生の頃、手作りのボールやバットも交えて、野球をした場所でしょう。1クラスが70人にもなる大人数だったので、確か4チーム位作ってリーグ戦をしていました。木瓜爺少年が率いるチームは、最も弱いチームで、2敗1引分が最高の成績。日が暮れてきて相手がボールが見えないのに乗じて、引き分けに持ち込んだのだった・・

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さて、高い所に上がって、橋を渡ります。「サンシュ」でしたか、黄色い花が咲いていm95-29-02 F6503ました。橋は「ふれあい橋」と名付けられていました。

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m95-29-04 F6509橋の上から、西国分寺駅の方を見ると、高いビルが沢山立っています。ちょっと空模様があやしい漢字です。夕立的一雨が来るかもしれません。橋を渡ると、また広場があります。野鳥の森とつながっていたか・・今日は、八幡様のほうにどんどん進みます。見えているのは、第四小学校ですが、こちら側にも道があったような記憶なのですが、無くなっています。記憶違いか、公園にしたとき無くしたのか?

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この公園の地下がどうなっているのか、興味があります。工事の時、すごく掘り下げていましたがら、地下倉庫が出来て居るように思うのですが・・・

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公園の西口に出て来ました。振り返って写真を撮していますが、ここから右の方に坂を下って行きます。途中から神社野社殿裏に入ることも出来ますが、あえて坂を下りきって、正面から入ります。

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うーん、この梅の木があるあたり、昔発掘したところじゃないかなあ? 高校生時代の思い出です。そう古い遺跡ではなくて、国分寺が作られたころの遺跡です。竪穴住居ではあったのですが、国分寺に使われた「布目瓦」をつかって竈が作られていて、新しいものだとビックリした記憶です。多分工事に関わった職人達の住まい、若しくは「瓦」を焼いた場所だったのでしょう。

坂道は、工事をしていましたが、通行は出来ました。鳥居の下側に到着。

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この八幡神社は、本村の鎮守、現在の地名では、国分寺市西元町です。八幡神社の創建年代等は不詳ですが、元和年間(1615-23)の書に記載があり、江戸期には国分寺村の鎮守でした。m95-29-09 F6515

鳥居の所まで上がりました。社殿の屋根が見えています。

新編武蔵風土記稿には、『(国分寺村)八幡社 薬師堂山林の内にあり、二面に三面の覆屋あり、村内鎮守、國分寺持。』と、割合簡単に書かれているようです。もう一つ石段を上がります。

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m95-29-12 F6521m95-29-11 F6519狛犬は小型ですね。獅子というよりも、ブルドックに近い? 「阿」が笑いました。

八幡神社ですから、祭神は「誉田別尊(応神天皇)」ですが、境内社がちょっと珍しいなあ・・・これは、「榛名神社」らしいのですが、もう一つあるのです。

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読めますか? 「祓戸(はらへど)神社」m95-29-15 F6525だそうです。この神様、「お祓いの専門職」で、神道では「祓戸の大神四神」と呼ばれるそうです。祓戸神社(瀬織津毘売神、速開都毘売神、気吹戸主神、速佐須良毘売神)、榛名神社は(祭神:火産霊神、遠山毘売神)が祀られています。

えーと、国分寺市の「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」を見ましょうか。『八幡神社は国分寺薬師堂南西の国分寺崖線上に境内を構えます。境内は南面し、崖線下に階段及び鳥居を設け、崖上に狛犬、鳥居、東傍らに末社、参道突き当たりに拝殿、幣殿、本殿、本殿覆殿が建ち、その東側に氏子会館が置かれ、祭神は応神天皇とします。
八幡神社の由来は明らかでありませんが、幕末期の御用留には、既に元和(1615~23)年中、除地5反歩と記されています。明治12(1879)年の「神社明細帳」(東京都公文書館所蔵)では当時の社殿を享保5(1720)年に新造したとの伝承がありますが、後述のように現在の本殿は19世紀前期頃の建築と考えられます。また、明治41年に12月に本殿、拝殿を新築したとの記録が残りますが(『北多摩神社誌』)、拝殿、本殿覆殿は彫刻絵様が明治時代後期の傾向を示すことから、これは拝殿、本殿覆殿の新築を示すものと考えられます。また昭和38(1963)年4月に覆殿の改修があり、この際、幣殿の建築が行われました。』

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いつも不思議に思うのは「千社札」。どうやって、あんな高い所に張るのでしょうか?

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神殿は、あの後部の覆殿の中でしょう。

「多摩の神社 準備室」は、八幡神社の由来を、捉えていました。

『国分寺八幡神社 鎮座地 西元町1-12 祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
旧格式 村社 別当寺 国分寺  例大祭 9月17・18日
解説
国分寺村は古代から続く古い村であるが、村に神社が無かったため、地元の本多氏の屋敷神の八幡宮を国分寺の敷地を借りて遷し村の鎮守とした。
周辺には国指定史跡武蔵国分寺跡や真姿の池などの湧水、立派な長屋門を持つ農家などがあり都内でも屈指の景勝地である。』 本多さんは、開拓した「本多新田」でも家の直ぐ近くに「八幡神社」を作っていますし、この説で大きな間違いはないでしょう。

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この西元町の八幡神社は、祭りが長く途絶えていたそうですが、氏子さん達が協力して復活し、賑やかに行われるようになり、祭礼の次第を書いたブログなども見る事ができます。この社殿の横の建物は、「氏子会館」と書かれていました。

お参りをすませて、木瓜爺は隣の「薬師堂」にもお参りし、国分寺遺跡の方に行って昼飯にしようと思います。

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2015/03/16: 国分寺市散歩;木瓜爺撮歩95-29 本村 八幡神社 (No.2260) への2件のフィードバック

  1. tkutsu より:

    毎回 拝見する狛犬の表情か面白いです。

    • bokejii より:

      そうですね。奉納の年代によって、作者というか彫り手のイメージが大きく変わり、面白い狛犬が登場します。最近のものはコンピュータの所為で同じ雰囲気になってしまってつまらないですね。
      3Dプリンターで作るような所まで行くと、また面白いものが出来てくるかもしれませんね。

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