2015/03/21: 麻布を歩く;木瓜爺撮歩94-17 飯倉 熊野神社 (No.2265)

桜田通りの歩道橋の上から眺めますと、目に入ってきたのは土蔵作りの「鰻や」さん。

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ちょっと入って見たくなりますね。時刻は11:28 まだちょっと早いかな? その先に鳥居が見えます。「熊野神社」という標石も立っています。

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歩道橋を渡り終えた所に、コンビニがあったので、ちょっと寄ってトイレを借り、あとで食べる軽食を調達。神社に向かいます。

m94-17-02 F3120m94-17-03 F3121 熊野神社

ビルにはさまれた神社です。地番的には「麻布台」に入ると思うのですが、「飯倉熊野神社」と呼ばれているようです。創建は不詳。養老年間(714-724)に、芝の浜辺に勧請されたものが、後当地へ遷座したということです。明治21年宮城県塩釜より鹽竈大神を招靈、明治29年には稲荷神社も合併したそうです。

そのため祭神は、「伊邪那岐」、「伊邪那美」、「武速須佐之男」、「塩竈大神」・・・おかしいな? お稲荷さんがいらっしゃいませんね? ああそうか、このお稲荷さんというのは、先日狭山で紹介した「太田姫神社」つまり「太田道灌が信仰した稲荷」なのだそうです。境内社になっているようですから、木瓜爺見落としたのかも知れません。そこの祭神は「宇迦之御魂命」ですね。 もう一つ「愛宕神社」も境内社になっていると、「猫のあしあと」では記述されています。書き忘れました。住所は「港区麻布台2-2-14」です。

m94-17-04 F3122古い江戸名所図会では「熊野権現宮 飯倉町にあり、或人云養老年間芝の海濱に勧請ありしを遥の後今の地に移さるとぞ。別當は三集山正宮寺といふ天台宗にして東叡山に属せり。毎年六月朔日より三日まで祭礼を修行す。」と書かれているそうです。冒頭の説明はこれを元にした記述でしょう。

社殿の中は、こんな具合。祈祷場所が作られていました。拝礼を終え、あたりを見回します。神様が眺めておられる東京タワーはこんな具合です。

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何も無い神社のように思っていましたら、手水場や社務所が、横のビルに付いていました。成る程なあ・・・

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都会の神社に慣れないと、判りませんねえ・・・。

m94-17-07 F3130境内の隅に、不思議な像があると思ったら、お地蔵様の顔面が剥がれ落ちていたのです。兜を被った武人が錫杖と宝珠を抱えているように見えました。

さて、次はどこに寄ろうか? この神社の西の方に「真浄寺」と「一乗寺」、二つお寺があり、その横が「ロシヤ大使館」のようです。そこを見てから、東京タワーの北側にある「金地院」に行くことにしましょうか・・お昼はどこで食べるのが良いかなあ?ベンチくらいには坐りたい。とにかく、出発。m94-17-08 F3131

 

 

桜田通りを少し北に進んだ所で、左に入ります。m94-17-09 F3132

 

 

 

 

狭い昔の道ですね・・・

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