2015/03/24: 麻布を歩く;木瓜爺撮歩94-20 勝林山 金地院 (No.2268)

昨日、東京でも、桜の開花宣言がでました。東京の標準桜(ソメイヨシノ)は、靖国神社にあります。今日ちょっと見て来ようかなどと考えています。桜を見るだけなら、多分上野公園の方が、早く咲いていると思いますが、花見客の宴会も多いから、撮り歩きにくいかも・・・

僧侶で有りながら、政治の世界に首を突っ込んで権力の虜(?)になってしまった人を「黒衣の宰相」などと言います。思い出すだけで「道鏡」「信西入道」「南海坊天海」・・ちょっと小粒ですが天海をライバル視していた「金地院崇伝」、まだまだいるでしょう。ただ、この「宰相」と呼ばれるにふさわしいのは、前の二人で、後の二人は「黒衣の参謀」位の違いがありますけどね。

この「金地院崇伝」がいたというお寺がタイトルの「勝林山 金地院」なのです。彼は、臨済宗南禅寺派の僧侶でしたから、多分このお寺もそういう宗派でしょう。そこを目指して歩いています。交差点です。あっちの方だ・・・

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向かい側に、教会が見えました。

m94-20-02 F3160 聖アンデレ教会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聖アンデレ教会」日本聖公会というキリスト教の教会です。

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ふと気付いたのは、遙か彼方、観音堂のようなものが見えます。下は車庫か?

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あそこが「金地院の観音堂」でしょうか? その手前に、前に来たことがある場所がありました。

m94-20-05 F3162 機械振興会館

「機械振興会館」といいます。多分何かの研修会で勉強に来たのでしょう。研修会場につかえる貸し室が沢山ある会館です。ここを通り過ぎて、お寺の前にやってきました。

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やはり、臨済宗でしたね。江戸33観音霊場の28番でした。

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入って行くと、門がありました。何だか難しいことが彫られています。

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「世外勝境」ここからは俗世の外である というような意味でしょうか?

入って左側に先ほど見えた観音堂らしき建物がありますが、何も書かれていません。いや、消えてしまったのかも知れません。m94-20-10 F3169

 

 

 

 

本堂の方は、現代的建物になっています。

 

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「金地院」というのは、あちこちにあります。そもそもは、京都南禅寺にあった塔頭です。崇伝が徳川家康のお抱えになって、駿河に移り、駿府城内の駿府金地院を作ります。そして、家康が江戸に移った時に、この江戸の金地院を作ったようです。最初は江m94-20-12 F3171戸城内部にあったようです。

伝えられている縁起 『金地院は、德川家康公を開基に仰いで、特賜圓照本光国師以心崇伝和尚が元和5年(1619)江戸城北の丸内に創建、寛永16年(1639)当地へ移転したといいます。以心崇伝和尚は、福厳寺や禅興寺、建長寺、南禅寺の住職を務めた高僧で、京都南禅寺金地院と当金地院を兼務、江戸幕府の幕政に深く関与し、寛永寺の天海大僧正と共に黒衣の宰相と称されたといいます。寛永10年には寺領500石の御朱印状を拝領、元禄7年には更に200石の加増を受けています。』だそうです。

崇伝の参謀業務で有名なのは、豊臣一族を滅亡させたあの陰謀です。京都東山の麓にある方広寺に、秀頼が納めた「鐘」の銘文に崇伝は「言いがかり」をつけたのです。「この鐘の文字にご注目下され。『国家安康』には、大御所様の名を二つに切り裂き、呪う意味が。さらに、『君臣豊楽』からは、豊臣だけが栄えて楽しむとの解釈が可能!」そしてこれがきっかけに大阪の陣が勃発。家康は天下を得ることができたのです。これ以外の仕事としては、外交文書を担当し、また寺関係の政令の整備などに力を見せています。

崇伝は「徳川家康」の参謀でしたが、ライバル「南海坊天海」は、この崇伝が活動している時期には、「徳川秀忠」の教育係をしていたようです。つまり、先のことを考えていたわけです。家康が亡くなると、天海の出番になります。最終的に天海が勝ったのは、家康を祀るときに、「崇伝」が付けた「大明神」という称号に、天海はいちゃもんを付けます。「大明神は豊臣秀吉に付けた称号」これでは徳川も豊臣と同じ運命をたどる。それと異なる「大権現」であるべきだ!・・・これ以来、崇伝の発言力は無くなってしまいました。

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境内にあった「水子地蔵尊」。水子というのは、流れてしまった胎児を意味します。そんなこと分かっている? m94-20-14 F3174

 

 

 

 

 

金地院から眺めた「東京タワー」逆光です。あーっ、昼過ぎてる! 途端にお腹が空いてきました。

腰を下ろすに丁度良さそうな石はあるのですが、どうも気が引ける。

八幡神社まで我慢しようか・・

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お庭もありますが、うろうろする気にはならない庭です。失礼して引き上げることにしましょう。もう一度本堂前で合掌!  情報を整理します。

m94-20-16 F3176『山号:勝林山  院号:金地院   寺号:不明  本尊:聖観世音菩薩像  住所 港区芝公園3-5-4  宗派:臨済宗南禅寺派 南禅寺東京出張所、 そして、 昭和新撰江戸三十三観音霊場28番、東京三十三観音霊場5番』

こんなお墓もあるようですが、寺の内部ではなく、道路に近いところです。

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道路に戻って、東京タワーを眺めました。 教会の方に戻ります。この坂は「永井坂」だそうです。今日はここまで・・m94-20-18 F3185

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