2015/04/01: 愛宕山へ;木瓜爺撮歩94-28 愛宕山 傳叟院 と 愛宕神社〔1〕 (No.2276)

4月に入りました。いつまで 都心を徘徊する気だ? と、言われそうですが、明日までです。とはいえ、ブログ種ストックの関係でいえば、まだ「靖国神社」が残っていますから、またすぐ舞い戻るかもしれません。では、昨日の続きです。

愛宕隧道というのは、地図でははっきりしませんが、愛宕山を突き抜いている道路です。真上に「NHK放送博物館」があるようです。木瓜爺は隧道の入口から階段を上m94-28-00 F6625がって行ったのですが、足弱な方は、トンネルをくぐってすすんで下さい。楽する方法があるのです。トンネルを出て右側にこんなものが見つかります。これで上がれば楽ちんです。

そのまま進めば、曲木平九郎が馬で上がったという「愛宕神社表参道」の階段を上ることになるのですが、詳しい事は明日のブログで書きます。

トンネルを抜けた所に、お寺を見つけました。それが、「傳叟院」なのですが、ちょっと紹介しておきます。「曹洞宗」の「大本山総持寺出張所」を兼ねているのだそうです。つまりですね。

m94-28-02 F3393 傳搜院

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元々は、「青松寺」の末というか、院の一つでしょう。「芝区誌」によると、『傳叟院 愛宕町一丁目二十八番地 :曹洞宗青松寺の子院で、正保三年三月の開創、青松寺第十世十洲補道大和尚の開山に係る。本寺は大正大震火災の際本區横死者の火葬場となつた處である。境内には百十数人の無縁の精霊を弔ふ爲建設された、震災記念聖観世音菩薩像が立つてゐる。此銅像は總高一丈六尺、帝室技藝委員高村光雲、並に山本瑞雲の原型を高橋凌雲が鋳造し、対象十五年九月一日に開眼供養した。一般の参詣者が多い。本寺門内の入口にある假堂には綿之婆尊が祀つてある。俗に「綿のおばあさん」と呼ばれて、百日咳や感冒に罹つた人が参詣する。』だそうです。

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m94-28-06 F3401高村光雲の手による「聖観世音像」は、これでしょうか? 石像のように見えましたが・・・? 2代目なのかも知れませんね・・

さて、木瓜爺の歩いた道に戻ります。

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単純に出来て居るもので、この道標で上に登ってしまいました。

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「西参道」と言うようです。距離的には、最短距離のようです。

ひたすら石段を上がって行きますと、「愛宕神社」と「放送博物館」の境目に到着します。

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m94-28-08 F3347 愛宕神社

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博物館にも寄りたかったのですが、少々疲れて来たので、神社の方だけにします。だいたい、博物館の中は写真が写せないでしょうし・・・

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少々ごちゃごちゃしていますが、これは「西参道」が神社の横腹に到着した為です。表m94-28-12 F3352参道ですと、画面の右端に上がってくることになります。そちらに回って行きます。

おっと、早速「将軍梅」ですね。このお話ダイジェストにすると、『時は寛永11年、江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺に参詣の帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。折しも春、愛宕山には源平の梅が満開。家光公は、その梅を目にされ、 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられました。しかしこの愛宕山の石段はとても急勾配。馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落としそう。家臣たちは、みな一様に下を向いております。家光公は、みるみる機嫌が悪くなり、怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。家光公。その者の顔に見覚えがありません。「あの者は誰だ」 「おそれながら、あの者は四国、丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」
平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上し、
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいた』

というお話、これが元で、この表参道の石段を「出世階段」と呼ぶようになります。どのくらい急かというと・・・これは、明日のお楽しみということにして・・・

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m94-28-14 F3356神社の「門」です。三つ葉葵の紋を眺めながら、くぐります。神社の由来がありました。

主祭神:火産霊命(ほむすびのみこと)(火の神)  罔象女命(みずはのめのみこと)〈水の神〉
大山祇命(おおやまづみのみこと)〈山の神〉  日本武尊(やまとたけるのみこと)〈武徳の神〉

境内末社:太郎坊神社、福寿稲荷神社、弁財天舎、恵比寿大黒社  創建:1603年(慶長8年)

と、言うようなことがかかれています。「太郎坊神社」というのは興味がありますね。天狗様かな?

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とにかくお参りします。わあ、綺麗です。御弊の林が出来て居ます。

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m94-28-17 F3361この神社、家康が信心していた、「勝軍地蔵像」も祀られているようですが、秘仏扱いになっているようです。参拝を終えて、右横を見ると・・・境内社らしい鳥居が見えています。行って見ます。

「太郎坊神社」というのは、2系統あるように思われます。一つは「天狗」=「猿田彦」という解釈です。ここでは、「祭神:猿田彦神」という立て札が出ていましたから、この系統です。もう一つは、ちょっとややこしいのですが、「愛宕大神」の眷属として、愛宕八天狗というのがおり、その中の太郎坊天狗という考え方。例えば、佐賀県にある「太郎坊神社」では、『祭神:火具土の神  太郎坊は次郎坊、愛宕坊等所謂八天狗の中の一神で元来火の神である。民間の信仰として難病その他の危難を救う神とされている。』

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そもそも「愛宕神社」というのは、山城国の「愛宕山 白雲寺」が発祥の地らしいのですが、ウィキペディアでは、こんな書き方になっていました。『愛宕権現(あたごごんげん)は愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神号であり、イザナミを垂迹神として地蔵菩薩を本地仏とする。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、愛宕山白雲寺から勧請されて全国の愛宕社で祀られた。』 成る程、「勝軍地蔵」があるのも、当たり前に見えて来ました。

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これは「福寿稲荷社」。この名前も時折見かけます。「稲荷神社」としては、「倉稲魂命」でしょうが、別の神様が合祀されて、「福寿」がついた場合が多く、その相方が、「天照大神」から「たぬき」まで、実にいろいろです。ここは、「寿老人」かな? 立て札を見ます。「倉稲魂命」単独ですね。 単独と言うことは、神仏分離で消された可能性の高い「寿老人」あたりでしょうか?・・・隣に「大黑様」と「恵比寿様」がおられるのですよ・・小さな祠ですが、表札がかかっています。  今日は、この辺でおわります。 境内社は、もう一つ「弁天様」があります。

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