2015/04/05: 皇居周辺;木瓜爺撮歩74-06 靖国神社の桜標準木 (No.2280)

m74-06-01 F3615食堂に入った木瓜爺、はじめて財布の中身に気が付いて、大丈夫かいな? でもまああまり高い物もなかったので、安心して昼食にしました。

ピンクの花、これも「河津桜」などの仲間でしょうか? 髙遠のコヒガンザクラはもう少し白っぽかったですね。 高尾の桜保存林に行ってもう一度勉強してこないと・・すっかり忘れてしまっています。

売店はもう一ヶ所あります。反対側というか参道の左側に並んでいました。

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これですね。人は少ないです。

食事をすませ、いよいよお参りに行きます。靖国神社は「神社本庁」には属していません。ウイキペディアではこう解説しています。『元来は東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)という名称であったが、後に現社名靖國神社に改称された。創建当初は軍務官(兵部省)が、後に内務省が人事を所管し、大日本帝国陸軍(陸軍省)と同海軍(海軍省)が祭事を統括した。1946年(昭和21年)に、日本国政府の管理を離れて東京都知事の認証により、宗教法人法の単立宗教法人となった。単立宗教法人(単立神社)であるために、神社本庁との包括関係には属していない。』

東京招魂社ができたのは明治2年。靖国神社と改名されたのは明治12年6月で、西南戦争が終結し、新たに官軍の戦死者を加えて祀るのを機会に改名されました。で、その「東京招魂社」は「戊辰戦争」の戦死者を祀ったもので、最初、木戸孝允あたりが「寛永寺」に作る案を出したらしいのですが、大村益次郎が九段に決めて推進してしまったようです。真ん中に益次郎の銅像があるのも、彼が決めてしまったからでしょう。

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三の鳥居です。この次に神社門があります。この神社門に放火した中国人がいましたね。焦げ跡でも残っているかと眺めましたが、修復されているようです。

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こちらは、手水舎です。

「全国靖国献酒会」の奉納品。立ち止まって、自分の知っている酒を見つけている暇人は木瓜爺だけではなかったようでした。下戸の木瓜爺ですが、「七賢」は学生時代冷やで飲まされたなあ・・これは山梨のお酒です。

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m74-06-07 F3629門をくぐります。4/3の奉納相撲の看板が立っていますね。

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第四の鳥居が見えています。あの鳥居の内側は、撮影禁止のはず・・でも、幸いに「標準木」のある「能楽堂」は、手前です。写真を撮している位置の右にあるのです。

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m74-06-11 F3637あのホータイを撒かれた木です。

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確かに咲いていますが・・この枝だけでも、5輪は越えているようです、

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隣のやや若い木はもっと咲いていました。

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次々とやってくる人々が、ケイタイを振りかざしています。タブレットを使っている人も結構いました。「標準木」確認の目的を果たした木瓜爺、神社のお参りに変えます。

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報道関係者への注意になっていますが、「左記の行為は一切禁止」というのは、我々にも適用されそうです。お参りだけしてきました。

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鳥居の外からの映像です。この鳥居の前に、左方から入って来る道があります。明日はそこから続けます。

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