2015/04/06: 皇居周辺;木瓜爺撮歩74-07 靖国神社の境内社 (No.2281)

撮影出来ない内宮(?)部分を出たところに南門からの参道があります。

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この、南門にも、狛犬がおかれています。こちらは銅像のようでした。

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ご覧のように、「吽」は一角獸です。三角にも見えますが、前の二つは毛が立っているらしい。「阿」の方もこの毛角は同様にあります。

境内には桜が沢山植えられていますが、陸海軍関係のグループによる献木のようです。ちょっとお目にかけます。

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左方は「戦艦武蔵の会」、武蔵も殆どのかたが亡くなられていますので、その遺族会でしょう。右の「肝桜」というのは、「南支那派遣軍肝兵団 独立歩兵220大隊」・・・南支那というのは広東方面ですね、「肝兵団」というのはどういう組織だったのか、よく分かりません。「独立大隊」というのもよく分からないのですが、「師団」というようなものに組み込まれていない部隊であったようです。ただ、「独立歩兵聯隊」などという名称も散見しますので、さっぱり分かりません。とにかく、こういう部隊などの献木が、無数に植えられています。多分、関係者がすべて冥府に行かれて、無縁木(?)になってしまった木もあるでしょうね。

m74-07-06 F3663剣道の道場の跡らしい表示。「神道無念流」の「練兵館」跡でした。「突きの斎藤弥九郎」の道場ですか・・・「桂小五郎「高杉晋作」「伊藤俊輔」・・おなじみの名前が出て来ますね。m74-07-07 F3664

靖国神社には境内社が二つあるのですが、近づけなくなっています。それをちょっと偵察しましょう。まずは、この地図から・・・

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本殿の下に「元宮」「鎮霊社」というのが見えますね。「元宮」というのは、おそらく「東京招魂社」時代の神社のことでしょう。問題は「鎮霊社」なのですが・・・

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両社の入口とおぼしき場所に立つ鳥居。進入禁止らしい。では、脇の方から回って見ましょう。

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喫煙所がありました。一休みします。と、入力の手をとめて、お菓子を食べてきました。

境内社を囲んだ金柵を見つけ、そこから中を写します。白い幕のかかったところが、鎮魂社のようです。手前に立て札が建っていますね。望遠で写せそうです。m74-07-13 F3686

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

m74-07-12-F3675_thumb.jpg「鎮魂社」というのは、「明治維新以来の戦争・事変に起因して死没し靖国神社に合祀されぬ人々の霊を慰める為、昭和40年7月に建立し、萬邦諸国の戦没者も共に鎮斉する。」と書かれていますね。分かったようで分からない?  ところで「昭和殉難者」ってご存じですか? 「昭和時代の国家によって起こされた戦争の犠牲者」という意味のようですが、これは、昭和53年に靖国神社に合祀されたA級戦犯のことなのです。昭和天皇は合祀に反対されたようですが、そういうことが行われてしまい、昭和54年に朝日新聞にすっぱ抜かれたのでした。

この「鎮霊社」はそれより10年も前の建立ですね。兵隊さん以外の「戦没者」を祀った「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」が出来たのは、昭和34年。10年後に作られていることになります。ウーン、分からん・・もしかすると、この「鎮霊社」には、最初から「昭和殉難者」が入っていたのかもしれない・・少なくとも、そういう遺族をなだめる意図があったのかもしれない。別に悪いと言っているのではありません。逆に、これをきちんと利用すれば良かったのでは? と言いたい気分なのです。

それと、かなりの方が錯覚しているのではないか、と思うのは、「靖国神社」というのは、宗教法人単立神社であって、いわば民営機関。「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」の方は、国が作ったものなのです。国家に関わる方々がお参りするなら、当然国営機関の方がプライオリテイ高いでしょう? ・・・もしかすると、報道するマスコミの方が理解していないのかな?・・・「公人としては千鳥ヶ淵戦没者墓苑」、「私人として靖国神社」とされている政治家や公務員も居そうに思うのですが、そういう弁明も聞いた事がないなあ?

話を戻して、散歩を続けます。これは何だろう?

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ははあ、海軍系の同窓会圧力(?)か・・・学舎の記念なのですね。この傍に、憲兵隊の記念碑もありました。

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こうして歩いて見ると、軍隊というものが、如何に大きなパワーを持っていたかが、ひしひしと感じられます。

若い方の集団が奥の方から出て来ました。奥の方には茶室的な施設があるようですが、木瓜爺は、そこまでは入らないで、この集団のうしろについて(?)戻ります。m74-07-18 F3684

Uターンしましたら、前の集団は右の方の行き止まりになる道に入って行ってしまいました。木瓜爺は、南門を出て道路を横断し、ちょっとお堀の所まで戻ります。「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」に向かいたいのです。写真は横断してから南門を振り返ったところです。

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