2015/05/13: 青梅街道狭山付近;木瓜爺撮歩98-21 三ッ木 十二所神社 (No.2318)

峯守稲荷の後ろから、ナナメに十二所神社の鳥居前に下る道があります。それを一気に下りました。m98-21-01 F4812十二所神社

この、「三ッ木 十二所神社」を最初に教えて貰ったのは、taji1325 ブログの1月31日 武蔵村山 「十二所神社」 2012/1/31 の事でした。もう3年以上前のことでしたが、やっと訪ねる事ができました。なるほど、立派な神社だなあ・・・ふと、左を見るともう一つ鳥居があります。奥に小さな赤い社があります。お稲荷さんのようですね。狐の姿がみえます。

m98-21-02 F4813稲荷社

この稲荷のことは、tajiさんのブログには書かれていませんでしたが、不思議な事に他の方のブログにも姿を現さないようです。木瓜爺だけに姿を見せてくださったのかなあ?有難くお参りしておきましょう。赤いお社ですが、この中にもう一つ古い木製の神殿が納められております。

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その中には「御神体」でしょうか? 御札と共に丸い石が祀られていました。簡単に「御神体」などと書きましたが、神社の「御神体」というものは、宮司さんでも見た事がないと言われます。仏教の「秘仏」と同じような扱いなのだそうです。ただ、「山」や「大岩」が御神体なのだというような神社は、ちょっと違いますが・・・ 丸い石を「御神体」とする神社は、割合多いようです。ここの場合は「稲荷社」でしょうから、多分、石は別の意味があったのでしょう。

さて、「十二所神社」の石段を上りますが・・・

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「十二所」ここは「じゅうにしょ」のふりがなが付いています。この神社名の話を先にしておきましょうか・・・

「十二所神社」「十二社神社」「十二神神社」「十二神社」「十二社」「十二様」「十二所権現」。「十二社」を「じゅうにそう」と読む例もありました、「十二神 神社」の「神社」を「社」と表現すると「十二神 社」これをみて、また「神社」を「社」と書くと「十二社」というようなことが起きているように思われます。これ皆、名前の上では親戚みたいなものなのです。ただし、内容には、祭神の違いだけでも4種あります。・・・まず祭神の違いからはじめます。

Aタイプは「天神7代、地神5代」という神話の神様グループです。12代なのですが、該当する神様の柱数としては若干増えるでしょう。

Bタイプは、「熊野12社・・の神様方」。熊野三山には「本宮」のほかに「上4社」「中4社」「下4社」という12の宮がありますが、その支宮側12社の神々です。神社の昔の名前が「熊野十二所権現」だったという場合にはこのケースが殆どでしょう。

Cタイプは、「阿蘇神社の12宮の神様方」。熊野ではなく阿蘇山が中心になっています。いわば九州版です。

Dタイプは、ちょっと原始的な「十二様」とよばれる土着の「山の神」だそうです。木瓜爺も山歩きの時に出逢ったことがあります。ローカル版と言うところでしょうか。

さらに、Aタイプの場合に、「純正」と「置替」があります。「置替」としたのは、明治の神仏分離の際に、仏教色を廃する為に無理矢理「天神5代+地神7代」を祭神とする! と決めた神社です。これによって、タイプBに近かった位置からタイプAに変えられてしまった神社があるのです。 以上を予備知識として、「十二所神社」の境内に入ります。

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この神社は、Aタイプです。しかも、新編武蔵風土記稿においても、次のように書かれています。『(三ツ木村)十二所権現社
除地、一段九畝十三歩、字峰にあり、村の鎮守なり、上屋三間四方、内にわづかなる宮を置り、拝殿二間に三間半、鳥居を立、前に石階あり、祭る処は天七地五命なり、神主新藤捷人。   末社。天王社、疱瘡神社。いづれもわづかなる祠なり。』

風土記稿が書かれた江戸期において「十二所権現社」と名乗っていたにもかかわらず、すでに「天七地五」だったのです。私の先ほどの分類でいえば、「A純正」ということになりますね。古は分かりませんが、江戸期以降では、熊野系ではないと云えます。創建が和銅元年の頃といいますから、相当なものです。ただし、木瓜爺としては、ちょっと疑問があります。「古事記」の写本が書かれた(原本は行方不明になっている)のが和銅5年のことです。 「和同開珎」って覚えておられますか? 日本製の銅貨ですが、あの「和銅」が産出したのが秩父の黒谷・・・都との交流はあったことは確かですが、はたして、この東国にまで、神代のお話がちゃんと伝わっていたのか?  まだ、文字自体が普及している時代ではありません。創建に関してはいささか疑問を感じています。

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石段を上がった所に「狛犬」があるようです。m98-21-09 F4825

 

 

 

 

 

 

そうそう、このお賽銭箱、石段苦手の方のために、下の方にも用意されていました。

木瓜爺はこの程度の石段を上るのは何でもありません(下るのは手すり利用ですけどね)

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m98-21-12 F4829右の獅子の格好が面白いでしょ、これね、下に子獅子が落っこちてしまったのです。

さて、お参りです。m98-21-13 F4831

祭神は、表示によって差がありそうです。

むさしむらやま歴史散策西コース掲示による十二所神社の由緒ですと、『祭神:天神七大地神五代之大神、大己貴命、加久津智命、素盞嗚尊』、北多摩神社誌による十二所神社の由緒ですと『天神七代地神五代之大神、大己貴命、加久津智命、天照皇大神』 後者は「天照大神」がダブっているようです。だって、地神5代の筆頭でしょ? え? 別にあった神明社を合祀したからだ・・成る程。

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社殿の前の方は祈祷殿で、神殿は後部にあるようです。

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これは、神楽殿だと思うのですが・・・ここも、お囃子が民俗文化財になっています。「祇園囃子」だそうですから、境内社の「天王様」(八坂神社)のものですね。

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境内社を探します。左の写真が八坂神社かな?

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「愛宕神社」は大きな石碑の横にある小さな石祠でしょうか?

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もう一つは「疱瘡神社」でした。

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お参りを済ませましたので、もう一度峯守稲荷の裏の方に移動します。今度は山の上を横に移動します。ついたところは、「十二所神社公園」でした。

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そばにトイレもありますので、安心して昼食をとりました。

なお、祭神が異なるタイプの例としては、Choi-Boke爺ちゃんのブログで、2013/04/09 「八王子椚田の十二神社」 などをご覧下さい。そうそう、山にあった「十二宮」の例を紹介したのもありますね。多分、下記に書かれているでしょう。「東浅川の十二神社」でした。 https://kzmuraoka.wordpress.com/2012/01/30/   鎌倉の例は、https://kzmuraoka.wordpress.com/2011/11/26/

 

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