2015/05/19: 青梅街道狭山付近;木瓜爺撮歩98-27 横龍山 吉祥院 (No.2324)

一度に何カ所か歩いてまわって、それを少しずつ文章にしています。続けて全部書いてしまえば良いのですが、目はしょぼしょぼしてくるし、指先は痺れてくるし・・・ついつい何日置きかになります。そうなると、記憶の方が断片化しはじめて、頭の中のデフラグ(コンピュータ・メモリーの中の断片化した部分をつなぎ直して整頓する作業)をやってから、続きを書かないといけません。

m98-27-01 F4992 吉祥院熊野神社を出まして、細い道を東に進みます。北に行くと「横田トンネル」の入口の方に行くらしいのですが、それは又の機会にします。「横田トンネル」「赤堀トンネル」「御岳トンネル」「赤坂トンネル」という四つのトンネルが続くのですが、これらは、村山貯水池を作ったときに、羽村・福生方面から多摩川で採取した砂利を運んだトロッコ線路の名残なのです。トンネルに到る前のトロッコ軌道だった大部分は、「野山北公園自転車道」になっているようです。こういう道を散歩するのも面白いかも知れませんが、歩いていると叱られるかも。・・突き当たりに「吉祥院」に石段が見えて来ました。

木瓜爺の親友のtaji1325ブログでは、2010年11月に、このトンネルからはじまって、「七所神社」「吉祥院」「日枝神社」などを紹介しています。つまり、木瓜爺の方は5年後の状況報告というわけです。リンクを付けておきましょうか・・11月26日  トンネル探検、   11月26日  七所神社・吉祥院  11月27日  日吉神社・熊野神社

さて、吉祥院前ですが、この石段の手前左側に、お堂があるのですが・・・

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草履を供えているところを見ると「馬頭観音」と思われているようですが、木瓜爺は「庚申塔」だと思います。右の方にはお地蔵様が集められています。このお堂の反対側・・つまり石段の右側には「馬頭観世音碑」が立っています。この両者、ごちゃごちゃに信仰されている可能性もあります。あとで、確かめます。

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ちょっと接近させて頂きます。冠のうえに馬頭がついているようにも見えますね。青面金剛の場合は「髑髏」です。これは「髑髏」でしょうね・・馬だともっと面長でしょう? 腕は6臂。うーん、両足の間にあるもの(?)が、やたらに長い! ウマ並みだあ・・そうすると「馬並み型庚申塔(?)」。冗談はともかく、木瓜爺が庚申塔に見えると言っているのは、下部に三猿らしい形が見えるからなのです。写真では「見ざる」が写っているようです。

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やはり、庚申塔と馬頭観音がごっちゃになった信仰のように思います。「馬頭観音」に健脚の願って草履を供えるという風習は、この付近では他の場所でも見られるようです。・・あるいはもっと実用的な意味で、草履が傷んだ旅人・あるいは働く人が、ここで草履を取り替えたのかも知れませんね。・・インターネット上に情報はないかな?

見つけました。武蔵村山散歩というブログの中にこう書かれていました。「吉祥院」の部分です。《【馬頭観音と庚申塔】 石段下右に天明6年(1786)銘の「馬頭観音菩薩」の石柱が立ち、石下左に享保14年(1729)銘の「庚申塔」の祠があります。馬頭観音や庚申塔の祠を見ても、人々から愛されてきたお寺だということが良くわかります。》このブログでは、銘まで読まれているので、間違いないでしょう。

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m98-27-03 F4995では、石段登りですが、その前に説明板を読んでおきます。写りが悪いねえ・・圧縮のせいでしょう。

《横龍山吉祥院は、曹洞宗長圓寺の末寺で、江戸時代のはじめ長圓寺三世竹同呑行(ちくどうどんぎょう)によって、開山されたと伝えられています。本尊は聖観音で、狭山22番の札所になっています。江戸時代の末ごろには寺子屋であったといわれています。明治時代には、明治5年の学制制定に基づき、第一小学校の前身である吉祥学舎が置かれていました。》

 

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一段の高さが低くて、巾はありますので、老人に優しい石段です。

新編武蔵風土記稿では、《(横田村)吉祥院
除地、村の東にあり、石階數十級を上りてここに至れり、横龍山と號す、曹洞宗、郡内中藤村長圓寺の末、開山は寅貞祖源元禄十二年三月四日寂せり、本堂五間に五間半、本尊正観音木の坐像一尺許を安せり》

昔の方が、石段が長かったのかなあ? ちょっとオーバーに書いたのかなあ・・・

本尊:正観音 狭山33観音では二十二番札所だそうです。

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お地蔵様が並んでいましたが、六地蔵塔が面白いです。この写真の右二つなのです。

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ご覧のように、六角柱を二つに分割しています。背中合わせにくっつけると、本来の形になるのでしょう。 本堂の前に、小学校だった表示。

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境内に「大黒天」の祠がありました。

これについては、まだ情報を見つけていません。中を覗くと、木造の社があり、その中に小さな「大黒天像」があるようでした。見たい? ちゃんとは写っていませんよ・・

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と言うような所で、吉祥院を辞します。「観音様、もう一息、気を付けて歩きますので、見守りお願いいたします。」

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横に墓地がありますが、石屋は、あの白い看板にある指定業者だけです。

あとは、「日吉(ひえ)神社」によって、「萩の尾薬師」で青梅街道に戻ります。

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