2015/05/25: 青梅小曽木;木瓜爺撮歩61-14 黒沢 子の神社 (No.2329)

寒念橋付近には、「石峰山 龍雲寺」というお寺があり、「黒沢 浅草観音堂」「黒沢 成田不動尊」というお堂が並んでいます。その一画に、今日の主題「子の神社」があったのです。

m61-14-01 F5197

この写真、左の垣根の中に「龍雲寺本堂」は隠れています。真ん中の紅白の幟が立っているところが「観音堂」。青い幟が見えるところが「不動堂」です。

m61-14-02 F5198龍雲寺

角を回って、「龍雲寺」本堂の正面にきました。このお寺、現在は曹洞宗に属していますが、以前は浄土宗系のお寺だったようです。というのは、寺社データーベースの断片的情報では、本尊「阿弥陀如来」とされており、寒念仏が行われたのですから・・・。それと、あちこちに地蔵菩薩のお姿も見られますので、浄土宗系の出身(?)のように思います。下の写真、石段脇に地蔵菩薩が見張りをしておられるのが見えますね。

m61-14-03 F5199

ここの観音堂は、わざわざ「浅草観音」との関係を強調しています。『手前の紅白の幟が「浅草観音分身 黒澤観世音菩薩」、青い方には「黒澤成田不動尊」と書かれていた。こんな所で浅草の名前に出会うとは思わなかった。』と、あるブロガーの言。

龍雲寺を調べておりましたら、「杣保(そまほ)」の関係ブログの中で、こういう記述を見つけました。『龍雲寺: 石峰山と号し・本尊は釈迦如来の曹洞宗の寺院。説翁星訓の開山、開基は水村氏と伝える。後12世大栄良造が発願再建を企て、13世竜鳳洞水の代に至り文化年間(1804~17)現在の伽藍を建立したと伝える。』 ここでは、本尊を「釈迦如来」としております。現状はこれが正しいと思います。

m61-14-04 F5200 黒沢観音堂

観音堂の前に来ました。浅草の観音様との関係は不明です。商標侵害じゃないのかなあ? 青梅には、浅草の観音様は、青梅から流れていったという説がありまして・・多摩川から、隅田川にはジャンプしたわけではなくて、青梅の北部の川は、入間川から荒川に流れ込んでおり、夢物語を作っています。青梅の富岡という場所、飯能市との境界に近い場所にある「岩井堂」のお話。この黒沢川と成木川の合流点付近の伝説ですから、いずれ訪問しましょう。

m61-14-05 F5203 黒沢 成田不動尊

こちらは、「成田不動尊」「黒沢出張所?」であります。ここに来ると、お腹が空いて、観音堂か不動堂の縁側でおむすびを食べさせていただく木瓜爺です。今日も同様にお腹が空きました。でも、もう少し辛抱・・・

2011/3/2のChoi-Boke爺ちゃんのブログで、こう書いています。『観音様に床を借りまして、バス待ちをかねて残りの食料を胃袋に納めました。境内にもう一つ神社を発見したのですが、少々くたびれて、階段を上れず、下から写真だけ撮しました』。この「もう一つの神社」に今回はちゃんとお参りして行かなければなりません。

m61-14-06 F5208 子の神社

鬱蒼としていた丘の上が、伐採されて見えるようになっています。社殿直ぐ下の石段が難所?のようですが、とにかく登れるところまで登って・・

m61-14-07 F5209

もう一息です。下りがちょっと心配な、不規則配列ですが、まあ、お尻を石に付けて下ってくれば戻れそうです。若い方なら、立ったままで下れますが、足腰不安定なので、みっともないことをするわけです。

m61-14-08 F5210

あと、数段。望遠で写して、これで十分と思ったのですが、神社の名前がありません。やっぱり、上まで行くしかない!

m61-14-09 F5213

「4年目にやっとお参りできました。ところでどなた様でしょうか?」 右の方に、奉m61-14-10 F5214納者の名前が書かれている板が張ってあります。その3枚目「子の神社 建設委員」!

なんと「子の神社」つまり「足腰守り」の「子の権現 神社版」だと思いました。それなら、階段が厳しかったのも道理。厳しいといっても、子の権現「天龍寺」に行く事を思えば、楽なものです。さすがに、「猫のあしあと」さんの「青梅の神社一覧」にも出ていないですね。「多摩の神社 準備室」にも未収録。 ということは、ちゃんと調べて書かないといけないのですが、その根気がありません。

とりあえず「創建不詳、社殿完成 昭和59年 祭神:子の権現」というところでしょうか? 違う? 「駄目だ! 東久留米に 子の神社 で大国主命を祀った神社があって、新編武蔵風土記稿にも書かれている・・」というわけで、祭神は不明。建設委員さんに聞いてみないと分かりませんね・・・なお、「子の神社 大国主命」というのは、大黑様を祀ったところからはじまっています。米俵・・ねずみ・・という連想から、子の神社になっていったようです。でも、それなら、平地に社を造りますよ。この建設委員は、絶対「子の権現」を意識して、山の上に作ったと思う木瓜爺です。「子の権現」というのは、隣の飯能市のちょっと先の山の上にあるのです。

m61-14-11 F5215

もう一枚、パノラマで・・・

m61-14-12 F5216

では、おむすびにしよう・・・と、思ったのですが、トイレに行きたく成ってきました。えーっと、このあたりにトイレはなかったかな? かすかな記憶をかき回して・・一旦「小曽木街道」に戻ります。

(追記 6/2)新編武蔵風土記稿の「黒沢村」を国会図書館からダウンロードしました。そこに、「龍雲寺」がありました。『龍雲寺 除地一反一畝六歩畑六畝二十歩 小名野上指ニアリ コレモ天寧寺ノ末 石峯山ト号ス (中略)・・本尊釈迦長一尺二寸立像ノ木像ナリ・・・』そして『子の権現社 ワツカラナル祠 本堂ノ前ニアリ境内ノ鎮守』やはり、木瓜爺の想像があたっていました。この「子の権現」が復活したのです。

広告
カテゴリー: 里山, 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中