2015/06/02: 続・ときがわ散歩;木瓜爺撮歩88-11 玉川・今宮神社 (No.2337)

一ト市(ひといち)の竜蔵寺を出て、交差点で右折。すぐに、大きな道と交差・・・道標を見ると、171号線を歩いていて、交差したのが172号線のようです。今宮神社にお参りしたあとは、この172号線を進むことになります。

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交差点を渡ります。左の方に木立が見えますね。多分あれが神社の場所でしょう。このあたり、「竜蔵寺」は隆盛であった頃は、大きな墓地だったようです。あちこちに、分断された墓地が残っています。

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今宮神社の鳥居が見えて居ますが、鳥居の横は、いや神社の周辺は全部墓地です。

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ここは、大地主の墓所かな? 「霊光観音」だそうです。秩父に「変現自在菩薩妙法如来」と称してこの観音様をあがめる単立の一派がありました。そういう流れなのでしょうか?

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鳥居をくぐります。石灯籠、狛犬・・社殿は素朴ですが、石物は揃っているようです。m88-11-08 F8120

 

 

 

 

 

 

左手に社務所か集会所か建物がひとつあって、右手には「手水舎」。

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手水舎の隣に、末社が置かれています。まずは、狛犬君です。

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なかなかの面構え・・子獅子もいます。

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末社は後回しにして、まず社殿にお参りしましょう。

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正面は何だか頼りないのですが、横から見ますと、どうしてどうして・・

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奥が深いのです。本当の神殿は一番奥でしょう。

所で、「今宮神社」って、祭神はどなたでした? 「今宮神社」で、一番有名なのは、多分、京都市北区紫野にある「旧府社」であった「今宮神社」別名「玉の輿神社」です。「玉の輿」の異名は、楽しみに取っておきますので、検索して楽しんでください。この京都の「今宮神社」は、平安京が出来る以前から「疫神」を祀っていたそうです。平安京が出来て、大いに発展して行きます。現在の祭神は、「大己貴命(おおむなちのみこと)」「事代主命(ことしろぬしのみこと)」「奇稲田姫(くしなだひめ)」になっているようです。 一方、ここから近い「秩父 今宮神社」は、別名「大八竜王宮」、祭神は、「イザナギ」「イザナミ」「素戔嗚尊」「八大竜王」「宮中八神」「役行者」「観世音」「弁財天」なんでもありの神社でした。Choi-Boke爺ちゃんのブログで書いたと思うのですが・・・10月2日: 秩父霊場フォトウォーク第3回-2

もう一つ、後で出てくる「今宮大権現」という名前の方から連想されるのは、「日光今宮大権現」です。こちらは、『今宮神社は日光二荒山神社(日光山社の本社)を祭ったもので、二荒山に比べ創建年代が幾分新しいところから今宮と称したと伝えられている。』という流れなのです。さらに、京都に「今宮大明神」と呼ばれた「今宮神社」があるのですが、ここは「疫病神」のなごりで、スサノオ系列に入っているようです。というわけで、神社の名前だけでは、祭神が分からない神社の一つです。

インターネットで、情報を探します。「埼玉の神社・埼玉神社庁発行」という冊子があるようです。それを引用したブログを見つけましたので、借用します。

『今宮神社(いまみやじんじゃ) 祭神:誉田別命(ほむたわけのみこと)
・大雷命(おおいかづちのみこと)  鎮座地:ときがわ町玉川1107

m88-11-15 F8134<由緒> (旧)玉川村の中心地である大字玉川は、近世には玉川郷と呼ばれ、天正十八年(1710)までは徳川家の直轄地であった。当社は、その一角である一ト市に鎮座し「風土記稿」の玉川郷の項にも「今宮権現社」としてその名が見える。社伝によれば当社は、天文二年(1533)に松山城主上田又次郎が玉川領に陣営を設けた際、当村において戦勝祈願をするため、郷内の川北(字宮谷戸)に雷電社、川南(字伊勢ノ台)に今宮権現社を勧請したことに始まるという。この両社は共に曹洞宗龍蔵寺の持ちで、松山城主の尊崇厚く、庶民の崇敬もまた厚かったと伝えられる。』ちょっと腑に落ちないこともありますが、戦勝祈願をするためと言うことを考えると、八幡様の誉田別命がメインだったのでしょう。大雷命は雷電社の祭神ですね。なお、ときがわ町には、「雷電神社」が別の場所にあります。いずれ訪れます。

木瓜爺の単純な頭脳では、元々は「八幡神社」で、それに「雷電社」が合祀され、名前の方は徳川時代に、「今宮大権現」という名前が一人歩きしてきてくっついたような気がします。ともあれ、観察します。

神殿は、正面の覗き窓?から拝めました。小さな社がおかれていました。ということで、末社の方にうつりますが、これがまた腑に落ちないことだらけ・・・

まず、ときがわ町のお祭りのことを書かれた情報から拾った文章をご覧にいれます。『大字玉川の今宮神社末社八坂神社の祇園祭に(天王様)奉納されるお囃子で・・・・一ト市は、江戸初期に宿の町割が行われ市が立った町場でした。』

今宮神社の末社に八坂神社があるというのです。こういう、末社のくせに祭りの主役になる場合は、良い場所が与えられているのが普通です。そういう常識からですと、手水舎の横の祠が、てっきり八坂神社だと思ったのです。

m88-11-17 F8136 三峯神社?

前に「岩盤」があるようですし、祭りの時にここに御神輿などを置いて、お祓いをし、神様に乗って頂くには丁度良い場所です。なんとなく、天王様の雰囲気を持っています。ところが・・・祠の中を拝見しますと・・・

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なんと、三峰神社の御札、よく見ると、「御眷属」つまり「大口真神」の御札まであります。これが住み着いていたのでは、天王さまも噛みつかれる!

いやはや、ややこしい神社です。

そのややこしさは、他にもあります。

 

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これは、ゴミ捨て場なのか? 祠の中には「大黑様」が居られるようです。外にもおらm88-11-20 F8145れますね。招き猫が門番をしているようです。 すっきりしていたのは「猿田彦大神」。

こんな石碑もありましたが正体不明。

m88-11-21 F8150 別当寺だった「竜蔵寺」がさびれると共に、玉川の神様方が、この今宮神社に集まってきたのかもしれません。不思議な神社でした。ブログを書き終えたあと、国会図書館のデジタル閲覧に「新編武蔵風土記稿」192 比企郡が見られることを発見しました。そこには、残念ながら「今宮権現社 神明社 雷電社」という三つの名前があるだけでした。さて、172号線の歩きに戻ります。

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