2015/06/04: 続・ときがわ散歩;木瓜爺撮歩88-13 嵐山町・鎌形八幡「義仲産湯清水」 (No.2339)

「ときがわ町」から越境して、隣の嵐山町に入ってしまった木瓜爺、あとでまた「ときがわ町」に戻りますので、このまま続けます。八幡橋西詰には、トイレが200m上流にあるという表示がありました。つまり八幡様にはないよ、というお知らせでしょう。と考えたのですが、実はこの付近、住民の方々が桜の苗木を植えて、花見の出来る河岸にしたのですね。その花見客のための案内だったようです。

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すぐに、神社への入口がありました。あずまや等があり、公園的雰囲気の入口ですが、幟が立っています。

m88-13-02 F8224 鎌形八幡神社

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なになに、「木曾義仲公」だ? ああそうか・・木曽義仲といえば、倶利伽羅峠の火牛作戦を思い出す・・たしかこれ小学校で教わったよ?・・軍国主義時代の国民学校って、歴史のエピソードのようなものを結構教えてくれていました。

都からの平家追い出しをいち早く実現して「旭将軍」と言われた人物。後に源氏の統領となった源頼朝とは、従兄弟に当たるのかな? 頼朝の父「義朝」の弟「義賢」の次男です。

この木曾義仲は歴史に姿を現す以前、つまり子供頃の確たる記録がないのだそうです。言い伝えとして、「源義賢(みなもとのよしかた)」は群馬を地盤としていたが、「秩父重隆」と結び、重隆の娘を娶った。この娘との間に生まれた子が駒王丸・・後の「義仲」・・である。現在の嵐山町、大蔵舘に住んでいた」となっているのです。 異説として、母は別の遊女であったという話もありますが、いずれにせよ、この嵐山生まれというのが有力な説になっています。なぜ、それが「木曽」に移動したかというと、「義賢」が兄の「義朝」と戦をして、負けます。「義朝」の子供の「義平」に討たれてしまい、「義平」は「駒王丸」も殺そうとするのですが、「畠山重能」「斎藤実盛」らが、そっと「駒王丸」を信州に逃がしてやるのです。

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ハイキングコースの案内板がありましたが、この神社の部分はよく分かりません。

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舘跡も近くにあるらしいですね。でも正しい道が消えているようで、どう歩けばよいのかは全くわかりません。

m88-13-07 F8231 八幡神社

鳥居の前にやってきました。右折で鳥居をくぐることになりました。「鎌形八幡神社」です。「鎌形」という地名は、どうも折れ曲がった都幾川の流れから来ているように思えます。

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これは、文化財の案内ですが、八幡神社に残されている「縣仏」ですか・・「阿弥陀仏」なのですね。

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こちらは、神社の由緒。坂上田村麿呂にはじまる宇佐八幡宮の系統。懸け仏が2枚あって一方は偽物(?)というのも面白いですね。

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第二の鳥居、真ん中に「門」みたいなものが見えますね。「随神門」みたいなものでしょうか?

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少し近づきました。大きな灯籠。門ではなくで、能舞台か神楽殿が壊れかけているのかな?

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不思議な建物です。「鎌形八幡社を訪ねた方々」のブログをかなり拝見したのですが、この建物に触れていたのは1件・・・ただ、「総門」と書かれていました。総門というのは寺院で最初にある門「惣門」とも書きますが、神社は、どうも腑に落ちない感じです。現在の名前としては「神社門」「楼門」などが使われるのが普通。でも、楼門ではないですね。 奥多摩では、神楽などの舞台の下をくぐって行く門がありますが、ここはステージ部分は左右に分割されていますので、空き屋になった「随神門」という所でしょうか。

(追記)yuichi さんから、「長床(ながとこ)」じゃないかというコメントを頂きました。長床というのは、修験者の宿泊や氏子の集会に使われる建物で、社殿の前方に作られるそうです。有名なのは熊野新宮にあるものですが、非常に大きい建物です。たしかに、簡易宿泊所(?)かも知れませんね。

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近づいて額をみあげると・・これが読めない「八幡」の次が何だろう?

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中央に石段があり、社殿は上部になっています。写真には入っていないのですが、左手に鳥居付きの境内社があり、右の方にも祠が置かれています。狛犬の写真を写そうと近づいた時に、「手水舎」の後ろに、石碑を見つけました。そちらを先に紹介します。

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m88-13-16 F5428 義仲の産湯清水

読めますか? 「木曽義仲産湯清水」と彫られています。そして、その下の石垣の間から水が出ています。水は竹筒に受けられて、「手水」になっています。

m88-13-17 F5431こんな具合になります、写真の位置を調整。

これが意外に難しい。倍率合わせなくちゃ駄目なのですが、想像してください。

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義仲もこの湧き水で産湯を使っただろうという想像の産物ですが、楽しいですね。でも、義仲誕生の地というのも近くにあるらしいのですが、ここまで水汲みに来たのかな?まあ、この湧き水が集落の水源だったということにしておきましょう。

柄杓がちょっと離れた所にあって、・・写真を写した場所が悪かった・・飲めなかったのですが、おいしそうな水でした。ブログに仕上げて、地図を見直したのですが、どうもおかしい。「木曾義仲産湯の清水」というのは、ここから南に100m程行った場所にマークがあるのです。どうも石碑にだまされたらしい。機会があれば、再訪問ですねえ?

さて、狛犬に戻って、今日は終わります。

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2015/06/04: 続・ときがわ散歩;木瓜爺撮歩88-13 嵐山町・鎌形八幡「義仲産湯清水」 (No.2339) への2件のフィードバック

  1. yuichi より:

    お世話になります。
    清水冠者源義高は義仲の嫡男でお爺さんでは無いです。
    義高は調べると承安3年(1173年)生まれ説がありますので、それだと数え3歳での賭仏奉納となりますが、義高は何歳で元服したのでしょうね。
    門のような建物は長床の簡易縮小版ではないでしょうか?大崎八幡宮の長床などを参照されてみてください。

    • bokejii より:

      yuichi さん ありがとうございました。 義高は子供でしたね。何かこんがらかったようです。削除しました。
      誤りの原因判明 源義家の孫に、飯富「義高」 という人がいまして、 眺めた系図でそれが 義仲のお爺さん為義と同じ高さにあったので、見間違えたようです。息子の位置にも「義高」と書かれていたのに・・・

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