2015/06/11 青梅小曽木:木瓜爺撮歩61-23 岩藏・御嶽神社 (No.2346)

小曽木街道には「岩藏温泉」という小さな温泉郷があります。旅館が五軒ありましたが、一番後から参入したところは、最近広告も見なくなりました。どうなっているのやら・・・その、岩藏の少し西に、「東京炭鉱前」というバス停があるのです。

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山神社から街道に戻って、東に進んでいます。

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白壁の倉が見えます。こういう壁に使われた石灰石を産出したのが小曽木の北にある「成木」です。小曽木の方は、埋蔵量が少なくて、淺野セメントが撤退した話を黒沢のところで書きました。それと似たようなお話を今日の冒頭に書くことになります。

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現れました。「東京炭鉱前」のバス停です。地図では「東京炭坑」と書かれていましたが、バス停名では「東京炭鉱」になっていますね。東京に「炭鉱」があったということご存じでしたか? それほど古い話ではなくて、昭和35年頃のことです。ただここm61-23-04 F8357も、「泥炭」しか出ませんでした。一獲千金の夢破れてあえなく廃抗。バス停にだけ名前が残った状態です。採掘跡は、2010年頃までは、あちこちに残っていたようですが、危険防止のため埋め戻されていましたので、最近はどうなっているのか?   瑞穂の方に行くT字路です。というよりも「岩藏街道(44号線)」の入口です。この街道、この先にもう一つ入口があります。ここは新道というべきでしょうか。温泉旅館の並ぶ一画を通るのが旧道です。

m61-23-05 F8360振り返った形で写していますが、「奥多摩新四国霊場91番」の標識がありました。ここは「石倉院」への案内です。「石倉院」というのは、「御嶽神社」の奥というか横の山にあります。明日のブログで寄ります。 先ほどの交差点は「新岩藏大橋」と呼ばれているようです。そのちょっと東の十字路から、左に入って行くと、「御嶽神社」の前にでます。神社に入らずに進むと、「石倉院」のほうに行きます。

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早速、「新編武蔵風土記稿」を引用します。多分、この「蔵王権現」がここだろうと思います。カタカナで書かれた部分は平かなで書きます。

『蔵王権現社 見捨地2間半四方 小名岩倉にあり 御嶽山と云 本社四尺上屋二間四方 南に向 神体は鏡のごときものの内に像を鋳出せり 古は三面ありしが一面は郡内新町村にかし 今は二面を存す 当山派修験蔵王院の持なり』 非常に小さい社があっただけのようですね。

そして、『蔵王院 除地八畝五歩 小名岩倉にあり 堂二間四方 南向本尊不動 木の立像にて長一尺五寸なるを安す 金峯山と号ス 当山派の修験なり』 実は、明日出てくる「石倉院」も「金峯山」なのです。場所もすぐ隣ですし、一つの組織だったのかも知れません。推測があっているかどうかは、あとの楽しみにして、お参りしましょう。

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またまた、長い石段のようですね。最初の石段を上がった所に狛犬があるようです。

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m61-23-10 F8368 御嶽神社

そして、てくてく・・・おっと、忘れておりました。下の方に、「神楽殿」がありました。 m61-23-11 F8369

 

 

 

 

 

 

社殿の前まで上がると、レンズに入りきりません。仕方がないな・・

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お賽銭を入れる小窓を覗きます。

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祈祷殿になっていて、太鼓が見えます。中央は御簾がかかっています。礼拝してから、横に回りました。m61-23-14 F8374

 

 

 

後部に神殿部分が隠されているようです。小さな祠も置かれています。

さて、「多摩の神社準備室」の先輩は、こちらをどう見られたのでしょう。

『御嶽神社 鎮座地 小曾木5-3067
祭神 天穂日命 (あめのほいのみこと) 大穴牟遅命 (おおあなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)広国押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)  旧格式 村社  別当寺 蔵王院(廃寺) 例大祭 3月15日
解説:岩蔵地区の鎮守。 創建は日本武尊が東征の際にさかのぼるという。
相殿の御嶽蔵王権現は寛平年間(889~97)の創建で奥津宮といい、もと北方の山頂に鎮座していたが、山火事で炎上、安永5年(1776)当社に合祀された。
明治の神仏分離の際、法印を称していた別当の蔵王院は吉野大膳と改め神職となった。
ご神体は神仏分離以前の懸仏で市指定有形文化財。』

なるほど、蔵王権現を合併したという解釈のようですね。この蔵王権現は、実はもっと北の山の上にあった・・修験道の道場としては、当然そうでしょう。といっても、地形図を見る限りでは、そう遠くではないと思われます。御神体は「懸け仏」だったのですね。 「天穂日命」というのは天照大神の第二子です。天孫降臨に際して、先発調査で出雲に行きますが、大国主命に味方してしまって、報告義務をはたさなかった神様ですなあ・・この辺は明治になってから決めた神様でしょうが・・・

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m61-23-16 F8377ちょっと存在感のある祠です。中には、御弊が五本立っていました、御嶽神社なら、「大口真神」などが祀られているのでしょう。

社殿の真後ろには、別の祠がありました。これは、「神明社」になっていました。

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ほかにも、祠はあります。m61-23-19 F8383

さらに、横の方に小径があって、その奥にも・・m61-23-20 F8384

 

 

 

 

ここは、木の社殿で、御簾がかかっていました。この御嶽神社の奥の方に、「岩藏の大岩」という隠れた名所があるそうですが、案内板的なものは見あたりませんでした。岩藏の観光協会、平成27年2月にホームページを作ったようですが、名所の大部分は岩藏では無い場所を書いています。「大岩」や「住居跡」という岩藏にある場所を、訪れる人の身になって紹介すると良いのですがねえ。さて、戻って「石倉院」の方に行きます。

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