2015/06/12: 青梅小曽木;木瓜爺撮歩61-24 金峯山 石倉院 (No.2347)

岩藏御嶽神社から、石倉院に向かいます。そろそろ昼食の時間です。食べてから行こうか、ついてから食べるか・・無住のお寺だと思うので、着いてからにするか・・

m61-24-01 F8388

多分、下に見える道を右に行けば良いのでしょう。

m61-24-02 石倉院F8395

ほんの少しで、石垣の上に石碑を見つけました。これを上ればよいようです。

m61-24-03 F8397

上がって行くと、本堂の前に出ました。小さいお堂です。「新編武蔵風土記稿」では、m61-24-04 F8398こう書かれています。『石倉院 除地一段九畝二十三歩 小名岩倉にあり 禅宗曹洞派 同郡根ヶ布村天寧寺の末 金峯山と号す 本堂九間に五間 東に向 本尊十一面観音 長二尺許なる木の立像なり 開山は本山四世説翁和尚といふ 永禄六年寂す』1563年以前の開山ということです。

「奥多摩新四国八十八霊場」を歩いている方のブログでは、このように書かれていました。『札所51番 金峰山 石倉院 <薬師如来>  ◆岩倉温泉から程近い民家の間の細い道を上がっていくと石倉院が見えて来る。寺院(青梅市小曽木5)は無住で、朱印は案内板に従い近くの大串宅が管理。また、手書きの納経の場合に墨書きは、西側に少し離れた曹洞宗の高徳寺で。左下の寺印は、「熊野山」写、となっている。これは、四国51番・熊野山 石手寺から取ったものであろう。』

m61-24-05 F8400霊場の方の本尊は、例の「石仏本尊」でしょう。どこに有るのか、探します。これは、「禁葷酒」の石ですね。m61-24-06 F8403 こちらは、六地蔵。

六地蔵の横には、もう一つ地蔵堂がありました。これm61-24-07 F8404でもない・・植木がかなり茂っています。

m61-24-08 F8408

五十一番と書かれた石を発見。そこに怪しげな石段道があって、高い所にお堂を見つけました。あそこだ・・m61-24-09 F8409

草をわけて、石段を上がりました。お堂の中には、大師様と薬師様が並んで居られます。

m61-24-10 F8410

弘法大師の「金剛杵(こんごうしょう)」大きいですね。これは、「獨鈷杵」ではなくm61-24-11 F8412で「三鈷杵」か「五鈷杵」なのでしょう。このお堂の前で、昼食にすることにしました。この本堂は後ろに長いのですね。

食べながらブログをどう書くか、大師様に相談(?)。この後の展開を実際の歩行と少しかえる事にしました。当日は、このあと、一路、富岡の常福寺に向かったのですが、別の日に歩いた「岩藏温泉」と「岩藏住居跡」を挿入することにします。当日は、どちらを歩くか二者択一を大師様と相談しておりました。

m61-24-12 F8415食べ終わって、あたりを観察。後部には、児童遊園地と墓地が見えていますので、そこに寄ってから帰る事にします。

まず出逢ったのは「念仏供養塔」です。

m61-24-13 F8417

そして「小曽木五丁目児童遊園」残念ながらここには、トイレはありません。

m61-24-14 F8421

墓地入口の地蔵堂です。三角形の石碑は明和三年(1766)の「法華千部塔」だそうです。細かい所までは読めませんでした。この近くで、「石倉院」の由来石碑を見つけました。明治に入ってからの大火で焼失したと書かれていますね。それと、戦後の農地解放に触れています。なるほど、寺領という所有地は再分配の対象にされたのですね。気が付かなかった。

m61-24-15 F8426 石倉院由来

では、失礼して、御嶽神社の方に戻ります。

広告
カテゴリー: 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中