2015/06/20: 奥武蔵散歩;木瓜爺撮歩08-12 畑神社 (No.2355)

岩井堂観音のことが「新編武蔵風土記稿」にどう書かれているのか・・・探してやっと見つけました。浅草観音の話はまだ登場していません。この岩井堂観音のある場所は「岩淵村」となっており、その村名の由来として書かれているところを紹介しましょう。『岩淵村は郡の西南にあり加治領に属す。村の西成木川の南岸盤岩の中腹に堂あり、これを土人(注:土地の人)岩井堂と云う。厳堂のよこなまりなるへし(注:いわやどうが訛ったものだろう) 盤岩高さ五六丈其の下に深淵あり、村名の起り是によるものならん・・』 そして「岩井堂」については、『成木川の南岸にて巖上に建てり 堂二間四方 観音を安す 村持なり 岩の高さ五六丈 岩下に淵あり ■水深さ一丈二三尺はかり その図右のごとし』で、挿絵が入っています。この挿絵が面白いのです。中断にお堂らしきものがあって、岩のてっぺんには光輪をつけた仏様が座っておられます。絵師には、山頂の樹木が仏様に見えたのだ!

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街道に戻って、観音堂が見えないかと眺めました。下の方で木間に白く見えるのが屋根のようです。ちょっと飯能方面に進んで、岩山がどう見えるか確かめました。ここから見ると巖ではなくて、森に見えますね。でも正面のピークが岩山なのです。そうだ、ここに立っている「岩井堂観音縁起」の石碑のことを書き忘れていました。木瓜爺自身は読み切れなかったのですが、こういう事が彫られているそうです。

『岩井堂観音略縁起 昭和40年9月建之
浅草観音の発祥岩井堂観音はその昔継体天皇の御代一人の旅僧龍間ヶ沢に具顕奇瑞を感得し尊像を安置せしという 安閑天皇の御代大暴風雨百雷ころともに鳴りみるに堂宇尊像崖下におし流れその後行方を知らず 後百年推古天皇の36年隅田川にて三人の漁夫の網にかかり金色さん然たる尊像これまさしく有りし日の岩井堂観音なり 郷人これを聞きその返還を求むれどそのかひなく改めて尊像を彫してこれを祀る たまたま聞き伝えたる今の浅草寺管長清水谷大僧正猊下は末寺善竜院より尊像を奉遷して古の郷人の志をつがれ永へにその奇縁をあらたにせられた 今堂宇新築にあたり略して記す
中僧正円照寺住職○○○○
(中略)
権少僧正歓喜寺住職○○○○』

では、青梅に戻ります。

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青梅に入った所に、石碑らしいものが立っていましたが、何か分かりません。多分境界を示すものだったのでしょう。

「岩井堂交差点」まで戻って、右折してみました。成木川を渡る橋があります。

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この橋は青梅・・つまり東京都なのですが、橋を渡ってすぐ、飯能・・つまり埼玉県になります。そこは「下畑」昔は「下畑村」でした。

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橋の上から、岩淵村の方を写しています。

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県境です。川沿いに右折します。近くに「畑神社」というのがあるようです。「下畑」の西には「上畑」があります。「新編武蔵風土記稿」では、下畑村の八幡社を「下上畑村の鎮守」としています。「畑神社」という名前が、「下畑」「上畑」合同の神社として付いたとすれば、この「八幡社」なのかも知れないなあ・・と、思ったわけです。

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意外に簡単に鳥居を見つけました。神社は山の上のようです。また、石段かな?

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鳥居の所で、墓地の残骸のような場所を見つけました。遠くから合掌して、先に進みます。

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案の定、長い階段です。でも緩やかなので、疲れた足でも歩けます。登り切ると、広場になりました。m08-12-10 F8644

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狛犬もなく、社殿だけ。「畑神社」の額が上がっています。飯能の神社のDB探しをしましたが、「猫のあしあと」「八百万の神」などにも、神社名だけで祭神記載なしです。「村社」であったされていますので、風土記稿の「鎮守であった八幡社」の公算は高いと思います。

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横に回ると、神殿は後方におかれていることが分かりました。

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三つの神殿が置かれています。御札もありますね。推定ですが、古い「八幡社」に、いくつかの神社が合祀されて、祭神もはっきりしない「畑神社」になってしまったのでしょう。風土記稿の時代には、上畑は神社がでていないのですが、明治には「秋葉神社」が村社になったようです。

m08-12-13 F8648末社もありました。ここも3社あるようです。まあ、木瓜爺流ちゃらんぽらん方式で、まとめて「畑大神」ということにして、拝んでおきます。

この神社、石仏で結構有名らしい・・もともとあったものか、土地開発でここに集まったのか、その辺は分かりません。

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「庚申塔」群が出来て居ました。ちゃんと写します。

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左のは元禄15(1702)年、右のは享保6(1721)年だそうです。でもねえ・・ この写真を見てください。後ろはゴルフ場のようです。何だか悲しくなる風景です。

m08-12-17 F8652この日は、畑神社から、また岩井堂バス停まで戻って、バスにのりました。明日は途中下車して、青梅の「海蔵院」に寄る事にします。

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